農学部長インタビュー
名前からは容易には想像がつかないが、生命科学分野の最先端の研究をしているのが農学部である。その農学部の特徴について、2007年4月に学部長に就任した生源寺眞一教授にお話を伺った。
1. 研究・教育について | 2. 社会とのつながり・学生に求めること
―産学連携など、社会とのつながりを教えてください。
社会とのつながりは私どもの場合、非常に強いです。農業界とのつながりはもちろんですが、食品産業とのつながりも強いですね。トップクラスの食品企業がスポンサーとなった寄附講座がいくつかありますし、そういった会社とは農学部の先生方やポスドク、博士課程の学生さん方も含めて、共同の仕事をしていることもあります。あるいは、醸造の研究をしているラボでは毎年五月祭で利き酒の催しをやりますが、ひと声掛ければ全国からお酒が集まって来るようなつながりがあるんですね。
そして、そういうそれぞれの分野での関係の蓄積とは別に、「産学官民連携型農学生命科学研究インキュベータ機構(AGRI-COCOON)」というのを、文科省の助成金を活用し3年前に立ち上げました。これは大学院を中心とした新しい教育システムで、学部にも広げていこうとしています。現在農学部にはいろんな専攻なり専修があるわけですが、それを横断するような教育のプログラムを提供するというのが一つの目的なんですね。今はこの中に5つの小さなグループがあります。たとえば「食の安全」フォーラムグループというのがあります。獣医学科の先生は特に公衆衛生やプリオンについて担当し、化学の先生は食品のサイエンスという側面からアプローチする。それからシステムという観点からは、トレーサビリティシステムの設計などというのは経済が専門になってきます。ですから、「食の安全」ということについても、いろんな角度から攻めていくことができるわけですよね。そのいろんな角度を総合して一つのグループを作って、学生さんたちに講義なり少人数のゼミを提供しよう、という形でやっています。
この取り組みは企業とも非常に強い連携を取りながらやっています。「食の安全」の場合で言えば、食品企業や生活協同組合、食品安全委員会などの官公庁とのつながりを持っていて、それらの組織に行ってもらってトレーニングを受け、現場の実際を感じてもらうということもあります。他には、講師の方に来ていただいて話をする、という機会もあります。たまにはビール工場に行ってみんなで飲んでくるなんてこともあるんですけどね。そのような形で、勉強もするんだけど、同時に実社会との接点について実感してもらうようなプログラムを立ち上げました。
これは、教育をする側も専門分野を超えて集まっているわけですけれども、受ける学生さんもいろんな専修、専攻の人が来ているわけですよね。そうすると、その間で議論ができる。もちろん自分の専門のことを深めていくのが第一だけれども、他のことをやっている人の話を聞くというのも結構面白いんですよね。全然違う発想をする人たちと出会うことになるわけですから。いろんな人と接していろんなことを吸収して、そしてもう一度自分の持ち場でしっかりやってもらう、ということですね。同じことばっかりやっているとやっぱり飽きちゃうので、気分転換という意味でもいいんだと思います。
それともう一つ、これは大学院生ですが、学生が運営に参加しています。1年間やってみての反省会をやるんですが、そのときにも必ず学生に入ってもらっています。学生のアイデアで新しい面を切り開いているというところもありますしね。学部の学生でも専門課程になるとそうだと思いますし、院生であればもちろんそうですけど、大学での勉強というのは与えられたものをどれだけ消化できるか、ということだけでは足りないと思うんです。自分から、吸収したいことにどんどん食いついていくことが必要で、その意味では教員からどんどん搾り取るくらいの気持ちでやったらいいと思うんですよ。そのきっかけにもなるんだろうと思うんですね。遠くの前方にいて講義をしている人間というのは、テレビの画面で見ているようなところがあってなかなかストレートに飛び込んでいくことができないだろうけれど、こういう場で非常に親密に接する機会ができることで、中に飛び込んでいけるような空気を作ることができると思いますね。
―今の学生に求めることは。
これが一番難しい質問だな(笑)。今の学生は、私が学生だった頃に比べますと、授業にも熱心に取り組んでいますし、出席率もはるかにいいんですね。そういう意味では大変好感をもっています。また、語学力という面でも今の若い人は私たちの世代にはないものをいろいろ持っているな、という感じはします。
ただ、東京大学の場合は特にそうかもしれませんが、壁にぶつかったときの耐久力に少し弱さのある諸君の割合が多いかな、という感じはするんですね。在学中に挫折するということはあまりないかもしれないけど、就職して全く違う環境に入って、たとえば上司から怒鳴られるというような今までにない経験をした途端に、クシャッとなってしまって、しかもそれがかなり深刻になってしまう、というケースも私の知る限り結構多いような気がします。そういう意味で言うともう少したくましくなってもらう必要があるのかな、という感じがするんですよね。
今の学生さんは二人兄弟、あるいは一人っ子ということが多いということもあって、大事に育てられているような気がするんですよね。私たちの時代では、たとえば兄弟が多かったのでその中でもまれたとか、昔、私がいた三鷹寮は8人部屋だったんですが、そういった中の人間関係でもまれたり、あるいは友達ができたりという経験があるわけですよね。そういった経験が今の学生さんには少ないのかな、という気がします。そうすると、免疫がないというか、人間関係の衝突があったときに、非常に素直なだけに弱い、という状況になっているんだと思います。
農学部では、たとえばフィールドワークということになると、そんなに大勢ではないけれども、数人から10人くらいの人数で寝泊りを一緒にするなど、一種の団体行動ということになります。理科系の学部ではみんなそうだろうと思うんですけれど、特に実験系やフィールド系だと人との出会いが多くて、それで結構鍛えられるという面があると思います。
―最後にメッセージを。
農学は、長期の視点でものを考える世界だと思うんですね。作物は一年一作のものが多いけれど、一年間かけて生産のプロセスが終わるという産業は、今の世の中では稀ですよね。だけど、農学部の扱うものでは、これが一番短いものだと思うんです。森林ということになると50年とか100年とかいうスパンでものを考えるわけですよね。あるいは海産物の量というのは20年とか30年、あるいはそれ以上のスパンでサイクルを描くわけです。だから、農学というのは時間視野の長い思考の好きな諸君には非常に合っている。せかせかしている人にはちょっと合わないかもしれません(笑)。やっている実験はかなりせかせかやらないといけないんだけど、その究極の目的はタイムホライズンの遠いところにあります。だから、遠くを見ながら足元の仕事を毎日やる、という形だと思いますね。
それと、私が時々農業の関係者や農家の方に申し上げるんだけど、農業と教育というのは本質的には同じだ、という気持ちがあるんですね。製造業は英語で言えばmakeという動詞であらわされる。一方、農業とか林業とか、あるいは水産もこの頃はそうかもしれないけれど、そういったものはgrowである。ただ英語に言い換えただけじゃないか、と言われるかもしれないけれど、辞書を引くとわかるように、makeはごく特殊な用例を別にすれば、「作る」という意味での他動詞として使われるわけですよね。一方、growは自動詞でもあり他動詞でもある。育つという意味もあるし育てるという意味もある。つまり、自ら育ちゆくものをいい形に育てるという営み、それが農業、あるいは林業ですよね。そして、まさに教育もそうだと思うんです。自ら育っていくということは思うようにならないということで、私ども教員の側から見ると思うようにならないわけですよ、あなた方学生さんは。だけれども、私の思う「いいように」ではなく、世の中の良識から見た「こうあってほしい」という形に育てていこう、というのが教育だと思うんです。これは、今では当たり前のことだと思うんだけれど、私自身もつい最近までそういうことをあまり考えなかったんですよ。
農家のベテランのおじいさんやおばあさんの中に、たとえば中学生の農作業の教育でインストラクターをしてもらうと、ものすごくうまい人がいるんですね。うまいというのは、たとえば授業のテクニックが優れている、というようなことではなくて、気合の入れ方が違うんです。たとえば中学生が修学旅行に行って農作業体験をすると、平気で怒鳴り、叱り飛ばす。遠慮がないんだね。お米やリンゴや牛を育ててきている50年60年のキャリアがあるから、お米やリンゴや牛の気持ちを見抜くことができるように、相手の気持ちを見抜くことができるんです。そういう農業の経験をつんでいる人たちというのは、先生も手を焼いているような問題児の中学生に喝を入れるなんてことも、全く衒いもなくやってのけるんです。それを見ていて、農業と教育は本質的には同じなんだな、と思ったんです。もうちょっと早くそれに気づけばよかったなぁ、と思いますね(笑)
長時間のインタビューではなかったのですが、とてもたくさんのことを話してくださいました。他の学部と比較すると地味な印象のある農学部ですが、「遠くを見ながら足元の仕事を毎日やる」という言葉に農学部の研究のあり方を見た思いがしました。
農学部ホームページ: http://www.a.u-tokyo.ac.jp/
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