現代生命科学I
1.どのような講義なのか | 2.文系の学生に対する生命科学とは
講義内容の社会への応用性
テレビや新聞で、例えばトマトの中にリコピンが入っていて、食べると体にいいと宣伝されています。 でもトマトなんて昔から食べていたでしょ?急にリコピンといわれると体によさそうだと思い込むのはおかしいと思うんです。 そんな馬鹿なことをわざわざ言わないで、栄養分としていろいろなものを摂ればいい。 だから、そういうマスコミの宣伝みたいなものに踊らされないようにするのが大事なんですね。 学生の皆さんに言いたいのは、基本的な事を知らなくてはいけないということです。
僕は5〜6年ほど司法研修所というところに行っていて、法律家になる人にDNAの授業を毎年やっているのですが、 法律家になる人がDNAを知らないということがあってはいけない。彼らにDNAの話を聞くと、全く無知だということはありません。 そういう意味では、これだけニュースでも活発に取り上げられて、社会で誰も知らないなんてことはほとんどないんですね。 だから、僕が学生の皆さんに正しいことを教えた後に、お家に帰ってお父さんやお母さんに「こんなことを聞いたよ」って教えてもらうのが非常に大事なことです。 そうやって正しい知識が世間に広まっていく。誤った知識が広まるのはまずいことだと、私は思います。
逆に、誰もが正しいと思っていたことが途中でひっくり返るということも、世の中にはあります。 今で言うと、生命倫理は多くの人が「神様がくれた憲法のようなものだ」と思い込んで、ああだこうだと議論をしているけれど、 議論はまだ成熟しきっていなくて、本当に何が正しいのかは分からない。 生命倫理はできてからまだ20年ぐらいしか経っていないものですから。 そういうものを、自明のものとして見ることがないように、問題がありますよということを授業で言って、議論が成熟して一つの論理が出来上がっていくことを願っています。
文系に向けて、楽しい生命科学を教えること
なぜ文系向けの講義なのか、それは理系のクラスと文系のクラスがあって、理系のほうは生物が必修になっているからなんです。 理系のほうには我々が担当を決められて色んなクラスに順番に出て行くんですが、文系は選択授業で、誰が教えに行ってもいいんです。 だから文系の授業は先生が好んで行っているわけですね。理系のは嫌々行ってる部分があるんですけど(笑) ……別にそうじゃないんだけど、必修授業だからある程度ビシバシやるのはしょうがない。 本当は理系の人にも楽しい生物を教えたいんですけどね。僕は生命科学を楽しく教えるのが好きなんですよ。 例えば新発見があったら「こんなことがあったぞ」というのを教えてあげたいし、文系のクラスにはそういうのが好きな先生が行っているから、 理系クラスよりも面白い授業が多いのかもしれませんね。
文系のための生命科学で何を取り上げるというのは、なかなか難しい問題です。 理系の生命科学だったら教えることが大体決まっていて、生物の身体の事とかを全部やればいいんですけれども、 文系の方に細かいことを言っても専門家になるわけではない。そうすると自分の身の回りのことや自分自身の体のことなら興味があると思うので、 そこを科学的に解明することが大事だと考えています。
文系に教える内容を練るのは難しいけれど、一方で教えやすいというのも事実です。 今の理1ってね、高校で生物を勉強してない人が殆どなんです。 ところが文3の人はセンター試験に必要だからというので生物を知っている人の方が多い。 それに理系の人には必死で点数を上げなきゃいけないというのがあるかもしれないけど、文系の人って「嫌だったら授業を取るのをやめちまえ」という気の持ちようでしょ。 だから文系のほうがやりやすいというか、冗談が言いやすい(笑)。こっちも気楽にやりたいことをやっています。
講義を通して学生に伝えたいこと
一番大事なのは、科学的なものの考え方だと思います。 非科学的なものの考え方はどんなものかというと、例えば超自然的なことを信じる人っていっぱいいるんですよ。 「神様は存在する」という所から始まって、色んな話がある。それはある意味超自然的なことで、普通考えたらありえないことです。 だけどキリスト教を信じている人は世の中にいっぱいます。でもそれでは科学というものは成り立ちません。 正しいことは誰がやっても同じようにならなければいけないし、例えば神様がいるんだったら目の前に神様を出してくれれば信じるけど、 何もないものを信じることはできないわけです。そういう超自然的なものを排除して、ちゃんとしたデータに基づいて議論ができるように、 科学的なものの考え方を身につけて欲しいと思っています。
科学的なものの見方というのは、生物を題材にすると一番よく分かるんです。 例えば狂牛病のプリオンというものはなぜ危ないのかということを順番に説明すると、まずどうして感染するのか結果的にまだ分かっていない。 分からないということは危ないので、検査もしないで肉が入ってくるというのは非常に危ないことになる。 誰でも普通ならそう思うはずです。ところが政治的な理由でろくに検査もしない肉が入ってきている。 そういうものに対し、普通の人はやはり危ないと思わなければいけない。 それで食べて狂牛病になったら自分の責任なんですね。 そういうことをきちっと分かってもらうためには、授業でどこまでが危なくてどこまでが安全なのかを言わないとね。 このような考え方を一個一個具体的な事例で身につけていけば、正しいものの考え方は何かが分かると思うんです。 「私はこう思う」という議論は成り立たないわけですよ、誰もがそう思ってくれないといけないので。 データに基づいた理論が非常に大事であるということです。
最後に一言
文系生命科学という授業には、スタンダードがありません。 僕の書いた文系生命科学の教科書は十数校の大学で使ってもらっているけど、それが唯一じゃないかな。 その分易しく色んなことを書いています。僕はここで10年も文系の生命科学を教えているのですが、私のやっていることが日本の文系生命科学のスタンダードになるように、 日本のトップを走っているつもりで、頑張って講義をしています。学生の皆さん、是非、講義を聴きに来てください。
取材後記
話を伺っている最中にも、身の回りにある生命現象の話題が次々に飛び出し、インタビューは非常に実の詰まったものとなりました。 私たちは日常生活の中でマスコミの情報に踊らされ、それらを短絡的に受け入れてしまう事が多いのではないでしょうか。 正しい知識をもっていないと、しばしば主観的な議論になりがちなものです。 しかし、教養としての楽しい生命科学は、科学的で客観的なものの見方を養い、 そのような罠に陥らないための道しるべとなるのでしょう。
なお、「現代生命科学I」で取り上げられた内容は、講義録として出版されています。 東大の学びをより深く知りたい方、楽しい生命科学に興味のある方は、お求めになってみてはいかがでしょうか。
- 『遺伝子が明かす脳と心のからくり』(石浦章一著、羊土社)
- 『生命に仕組まれた遺伝子のいたずら』(同上)
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