現代教育論

1. 現代教育論という講義 | 2. 学生に対して


講義をする上での工夫点

 講義は毎日のことなので、毎日何かしら工夫をしているといえばしているんですけどね。3つ例を挙げるとするなら、まず初回の講義でアンケートを取って、教育の中のどういう事に興味があるかというのを聞いて、その結果を参考にして授業の内容を決めています。日本の教育史や教育思想・教育哲学などがいわゆる「教育学」の中心的なテーマなのですが、残念ながら、こういうテーマに対する今の駒場生の興味は非常に低いので、現代の身近ないじめとか校内暴力とかについて話すようにしています。初回のアンケートは学生がどういうことに興味を持っているかを授業に反映させるのに非常に役立っています。

 もう一つは、私自身の研究の為に、授業中に頻繁にアンケート調査をしています。折角の授業の時間を削って学生さんにやってもらうのは本当は悪い気がするんですが、アンケートの結果を個人的に知りたい人には後でフィードバックしたり、調査の結果をまとめてお知らせしたり、出来るだけ研究用の調査を学生さんに還元するようにしています。

丹野先生

 あとは、オフィスアワーといって、授業とは別の時間を設定しておいて、その時間は授業の質問やよろず相談や雑談に応じるようにしています。

 私は現代教育論を15年ぐらい教えているので、最初のうちは毎年毎年いろんな工夫をしていたんですが、最近はマンネリ化してきているのも事実です。年とともにルーティン仕事みたいになっていまして(笑)。駒場での授業はそれぞれ面白い所を持っているんですよね。教養学部1,2年の学生に現代教育論を教えると、皆さんすごく興味を持って聴いてくれます。一方、大学院で教えるというのも非常に面白い仕事です。専門的なことを自分の研究室の中で5,6人を対象にして徹底的にディスカッションをして、それなりに面白さはあります。でも残念なことに時間がなくなってきていて、それぞれの授業に工夫する時間がなくなっているんです。でもやっぱり研究と教育というのは車の両輪のようなものなので、教育に専念するとマンネリ化するだろうし、研究に専念してもあんまり良くない。やっぱり忙しいけれども両方やっていくというのがマンネリ化しないための良い方法だと思っています。

文系的発想と理系的発想

 文系の学生さんも理系の学生さんも小・中・高の学校社会を経験してきたわけですし、また東大という学歴社会の中にいるわけですから、文理を問わず教育が東大生にとっての大きな関心である事は間違いないと思います。それに私のやっている心理学は文系的なところと理系的なところを両方持っています。一見すると現代教育論や心理学は文系的な学問だと思われがちですけど、かなり理系的な発想で研究をしているんです。理系と文系を対立的に捉えないで、両方のいいとこ取りをしているような気がします。

 私自身は高校では理系にいて、東大では文科三類に入って心理学を学び、大学院では医学部に入るという、理系と文系の間をふらふらする様な進路をたどってきました。教育学は完全に文系の学問なんですけど、それでも文系的な発想より理系的な発想で考えたいと思っているし、今の私の専門である臨床心理学でも、文系的な面と理系的な面が半々です。両方の発想が必要なので、どちらかに偏ってしまうと非常に偏った学問しか出来ないんですよね。だからむしろ両方のいいとこ取りをするように、「心はホットに文科系、頭はクールに理科系」というキャッチフレーズで研究しているので、文科系・理科系を分けるという発想はあまり持っていません。「心のない心理学」や「頭のない心理学」にはなりたくないんです。いじめの問題にしろ精神的な問題にしろ心の問題なので文科系的なところがあると思いますが、あまり文系的なところに入ってしまうと、クールさが無くなり、対象との距離が取れなくなって上手くいかないんですね。理系的に物として距離をとって観察する態度をつけるといいんです。かといって人間の問題なので遠くから見すぎてしまうと、治療などが出来なくなるので、適度な距離を保ちつつ共感の態度を取らなきゃいけない。両方が必要なんですよ。できるだけクールに観察したり分析したりする姿勢は見失わないで欲しいです。だから、駒場で文系と理系が共に学ぶのも、「心は文系、頭は理系」というのを身につけて欲しいということでしょうかね。

内容が多彩な「現代教育論」

 現代教育論は、数人の先生がそれぞれ違った内容で授業をしています。一つの理由としては、非常に受講生が多いことですね。数年前までは毎年800人近くの受講生が集まり、大教室で授業をしていました。これじゃまずいというので、非常勤講師の先生にお願いして授業数を増やして、一つの授業あたりの受講者数を減らして、少しは過密授業を解消できたところはあると思います。

 また、教育の問題には色々な視点があるので、いろんな先生に教育を論じてもらいたいと思って、多彩な先生にお願いしているということもあります。毎年教育学系の先生と心理学系の先生にお願いして、異なる立場で広い視点から授業をしていただくという事を目指しています。理系の科目、例えば○○力学だったら誰が講義しても同じ内容だと思うんですけど、文系の学問はどんな視点から見るかによっていろんな考え方が出てくるので、多彩な先生にいろんな角度からお願いした方がいいかなと思っています。

 平成17年度までは現代教育論は一つの科目でしたが、平成18年度に駒場のカリキュラムが変わったのを機に、「現代教育論」と「教育臨床心理学」という2つの科目に分かれました。もっと増やす事も考えたのですが、それだと先生が足りなくなってしまうので、今はこれが精一杯かなと思います。もっと教員が増えたら、さらに科目を細分化して、学生がこれらの授業を多く取れるようにしたいですね。

学生に伝えたいこと

 教育の問題というのは非常に身近で面白いので、是非興味を持ってもらいたいです。特に東大の学生は学歴社会の頂点にいるわけですから、そういうことを知ってほしい。学歴社会がどういう問題を起こしているかというのを、ピラミッドの頂点にいる人にはぜひ理解して欲しい。今教育の底辺で起こっている校内暴力や非行やいじめについて理解して欲しい。現代の教育問題に学生のうちから興味を持ってほしいという事ですね。興味を持った人は教育学部に進学して専門的に勉強するのもよいでしょう。

 学生の中には、メディアに就職したり官僚になったり医者になったりする人がたくさんいると思うので、そういう人には是非教育現場の問題を知ってほしいなと思います。特にメディアに行った人には教育を広く知って欲しいという気がします。教育問題に対する報道を見ていると、必ず学校側が槍玉に挙げられて、「何で先生がしっかりしないんだ」とか言われて、教育委員会や文部科学省に非難が浴びせられる。これは非常に一面的だと思うんですよ。やはり子どもというのも非常に悪い所やずるい所をを持っていますし、いじめ問題において明らかに悪いのはいじめる子ですよね。それを放っておいて、「何でいじめを止められなかったのか」と先生ばかりを悪者扱いするのが私には不思議なんですよね。いじめがどうして子どもの間に広まったのか、どうして子どもはいじめを面白いと考えるようになったのかということを考えると、ひとつの原因は、テレビのお笑い番組で「いじめは面白い」というメッセージを流しているからなんですよね。漫才やお笑いのブームのおかげでテレビが繁栄してきたというのもあるので、やはりテレビにもいじめに対する責任の一端があるわけですよね。いじめが面白いというのは子どもの価値観が変わってきたというのもあると思うんですけど、そこを変えてきた原因の一つがテレビであることを反省してほしい。テレビが教育問題を取り上げると非常に一面的になる傾向があります。現代教育論の授業を聴いている人はそういう一面的な報道に惑わされないで、教育問題をもっと広い目でいろんな観点から見られるような視点を持って欲しい。これが私が一番学生に望みたい事です。

取材後記

丹野先生

 おめでたいことに取材の数日前に教授になられたという丹野先生でしたが、講義の内容を語りつつ、現代の身近な社会問題についても広く語ってくださいました。こうした社会問題が教育と密接に結びついていること、そして教育が様々な形で社会に影響している事を感じました。UT-Lifeもメディアたるもの、もっと多様な視点から東大の学びを捉えていければと思います。


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記事掲載日:07-02-27
担当:渡邉洋平
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