ドイツ語

1.ドイツ語について | 2.学生に対して


駒場で第二外国語を学ぶ意義

 例えば理系だと論文は英語で書くから他の言語は無用かもしれませんが、理系から英語以外の外国語を全部はずしちゃうと文系と理系で接点がほとんど無くなってしまいます。総合大学は理系も文系もいろんな学問分野で一緒の場所にいることに意味があるんです。私はサークルで理系の友達も多かったけど、単科大学や工業大学だったらそうはいきません。それにどのくらいの意味があるかと聞かれたらわかりませんが、私は自分と違う理系の学生がたくさんいてよかったと思っています。そういう人の出会いの場としても大学の存在価値は大きいと思います。そのときに理系と文系が受ける教育がどんどん離れてしまうと、同じ場所にいても実質別のふたつの大学ということになりかねません。その架け橋に外国語がならなくちゃいけないというわけではありませんが、無くなってしまうのはちょっともったいないです。

 また、さっき言ったように言語を学ぶことが他の人々の考え方に触れる窓口になると考えると世界中の言語を全て知っているのが理想ですが、ご承知の通り1つの言語をやるのは大変なことです。母国語でさえ学ぶのは大変なので、外国語はますます大変です。だからせめて時間の余裕のある駒場時代に英語以外にもう1つくらい学ぶのも有意義だと思います。

先生がドイツ語を学んだきっかけ

 私は中学の頃から小説ばかり読んでいて、文学部に行きたいと思っていました。しかし、私の学生時代はまだバブル時代より前で、文学部に行くと生活できないと言われていた時代で、親父に反対されて文学部はあきらめて東大の文二に入りました。今だったらそのまま経済学部に進んでも良かったかなと思いますが、若い時って柔軟性が無いんですよ。経済学の勉強を少し始めましたが受け付けないんです。それで困っていたら、教養学部に教養学科があるというのを発見し、ここは文学部とはついていないし名前も何をやるのかわかりにくいので、ここに進学すると言ったら親もわけわからないから許すだろうと思いました。当時はあまり深い考えも無くドイツ語を学んでいて、教養学科ドイツ科に行けば文学でも思想でも何でもできるらしかったのでドイツ科に進学しました。そこから真面目にドイツ語をやろうと思い、春休みに自分で短文集を一冊買って読みました。受験勉強した時の経験からこれでドイツ語ができるようになるだろうと思いましたが、受験で勉強した英語程度にしか身につきませんでした。それからが大変で、外国語1つ身につけることがものすごく大変だと身にしみてわかりました。結局3,4年に教養学科ドイツ科にいたときの2年間はドイツ語漬けで、一生で一番勉強した時期だと思います。卒業の時に働くのがいやというか、働く自分が想像できなくて大学院に行くことにしましたが、文学部の大学院(編注:当時でいう大学院人文科学研究科)に行くと言ったら親もあきらめたようで、何も言いませんでした。それでそのまま文学部の大学院に行って今に至ります。だからはっきりとドイツ語をやると決断した時期があるわけではありません。でもそういう人は多いと思います。特に駒場の専門課程に残る人は、どの専門に行くか決めかねて残る人が多いと思います。

先生の研究と社会との関わり

ドイツ語

 今やっていることは、ドイツ語とは少し離れていて簡単には説明しにくいですが、さっき言った相対主義に関係することです。例えば、身近じゃない他人を恐れるのはどの民族でも共通の現象で、よその民族について「あいつらは恐ろしい人種に違いない」と話をすることはよくあります。それで、近代の人食い人種の記録というのが、ヨーロッパ人がどこか未開と呼ばれる人たちについて記した記録の中に現れますが、ちゃんと調べてみると確実な証拠は何一つないと主張する人たちもいます。私の研究は人食い人種がいるかいないかという研究ではなく、人食い人種がいると記したヨーロッパの記録を調べて、その思想を研究しています。中には人食い人種だと思っている相手から自分達が人食い人種だと思われてしまったという記録もあります。人食い人種だと考えるのは相手に対する恐怖の1つの表現ですが、お互いにそれを持っているということです。つまりこれは自分の立場にだけ立つと相手が人食い人種に見える一方で、相手から見れば自分達が人食い人種だと考え出すきっかけになるんです。そういうきっかけがあると相対主義的なものの見方の獲得につながります。だから人食い人種にまつわる言説の歴史はものの見方の相対性の歴史でもあります。それを調べていくことで、自分と他者を分けて考えるとはどういうことか、それから分けて考える時どういう立場のとり方があるか研究しています。さっき言った相対主義もその1つですね。ドイツ語とはあまり関係がありませんが、こういうことを調べるにはできるだけ原典に当たった方がよいので、ドイツ語も当然使います。

 私がやっていることは広い意味ではヨーロッパ研究ですが、少し社会に目を向けると経済力が同じくらいとか日本より下とか言われる国でも街の雰囲気や人々の生活ぶりを見ているとヨーロッパのほうが圧倒的に優雅なんです。さらに日本の地方では、今や医療体制も維持できない状態なので、市民が落ち着いた生活ができる国であって欲しいと思うわけです。そうするとそのモデルを作ってそれを目指す構想みたいなものが必要で、その1つがヨーロッパです。人口が減っても落ち着いた市民生活を送れている国はいくらでもあって、第二次世界大戦後のヨーロッパの国はその好例だと思います。日本にとって将来アメリカや中国が一番重要になるにしても、それ一辺倒ではなく、ヨーロッパに関心を持ったりヨーロッパの研究をする人が日本には残っていて欲しいと思います。

学生へのメッセージ

 例えば外国語は手間のわりに報いが少ないので、怠け者はやりません。私もそうでしたが、学生は大半が怠け者ですよね(笑)。ただ私は、別に学生に多大の税金が投入されているからという理由ではなく、大学では勉強するべきだと思っています。卒業すればわかりますが、人生で勉強できる期間ってものすごく少ないです。それでその時は、みんな勉強は嫌だと思っていて勉強好きな人は変わり者にされますが、本当はおもしろいものです。本当はおもしろいとわかってもらうためにカリキュラムで縛るのは少し矛盾していますけど……。学生が積極的に自分から楽しく勉強してくれる教育制度があったら知りたいですね。学生のみなさんが自分で勉強している内容に価値を見出せることを願っています。

編集後記

 筆者も駒場時代はドイツ語を選択しましたが、大半の学生同様怠け者だったので、あまり身につかずに終わってしまいました。もっと真面目に受ければよかったとインタビュー中に思いました。なお、足立先生の写真は本人のご希望により載せていません。ご了承下さい。


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記事掲載日:08-09-19
担当:栗田萌
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