ベルツとスクリバ

本郷キャンパスの御殿下グラウンド近くに、エルウィン・フォン・ベルツとユリウス・カール・スクリバの胸像があります。

ドイツ人のベルツとスクリバは、ともに創生期の東京大学医学部で20年以上教鞭をとり、日本の近代医学の発展に貢献しました。

ベルツは内科学が専門で、「だが滑稽なことには誰も憲法の内容をご存じないのだ」の一節が有名な『ベルツの日記』の作者でもあります。さらに、スクリバとともに草津温泉を訪れ、その効能を世界に広めたことでも知られています。

スクリバは外科学が専門で、ロシア皇太子(後のニコライ2世)が襲撃された大津事件や下関の李鴻章負傷事件では政府の要請で治療に当たりました。また、東大を退官後は聖路加病院で外科主任を務めました。

2人が退官した後の1907年、日本における洋風彫刻の先駆者とされる長沼守敬によって胸像が製作されました。このブロンズ像は戦時中、兵器を作るために供出されることとなり、代替としてコンクリート像が製作されましたが、終戦により供出の必要がなくなったため、不要になったコンクリート像は2人と縁のある群馬県草津町に寄贈されています。

この胸像は医学総合中央館が建設された1961年に現在地に移され、2人が東大病院を見守っているかのような配置になっています。また胸像の近くには、水原秋桜子の俳句「胸像をぬらす日本の花の雨」の句碑が立っています。同じく水原の句である「君によりて日本医学の花ひらく」の句碑がベルツの母校であるテュービンゲン大学にあるそうです。

参考文献

鹿島卯女『ベルツ 花』(鹿島研究所出版会、1972年)
金沢大学神経内科年報11号(2011年)

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