古市公威像

古市公威像

家を出て道を歩き駅へ。地下鉄に乗って根津で降りて大学まで歩く。毎日繰り返すこの行動も実は多くの土木技術に支えられています。
 この像の主は古市公威。工科大学(のちの東京大学工学部)初代学長を務めた人物です。1854年、古市は江戸の姫路藩藩屋敷で産まれました。古市は非常に優秀でした。明治2年に開成所開校とともに入学、翌3年に大学南校に入学しています。その後フランスで工学や理学の勉強をし、帰国後は日本の土木行政に多大なる功績を残しました。

古市公威には有名なエピソードがいくつかあります。

古市がフランスに留学していたときのことです。
 当時日本は国家も国民も国の近代化を目指して邁進した時代でした。日本が日露戦争に突入してゆく時代を描いた司馬遼太郎の「坂の上の雲」は有名な小説ですが、この「坂の上の雲」という題名には『「のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼって」ゆく日本人』の姿が表現されています。
 ある日古市は風邪を引き発熱してしまいました。それでも無理をおして授業へ行こうとします。その様子を見て、少しは休まないと身体をこわす、と心配する下宿屋のおばさんに「ぼくが一日休むと日本は一日遅れます」と答えたといいます。古市も白い雲を見つめて坂を登っている青年だったのです。

古市公威像

次のエピソードは1915年、古市60歳のときのこと。土木学会第一回定時総会会長講演にて次のような有名な言葉を残しています。

「本会の会員(土木学会員)は技師なり。技手にあらず。将校なり。兵卒にあらず。即、指揮者なり。故に、第一に指導者たるの素質なかるべからず。面して、工学所属の各学科を比較し、又、各学科相互の関係を考ふるに、指導者を指揮する人、即、所謂、将に将たる人を要する場合は土木に於て最多しとす。」

古市公威像

古市は工学全般を見渡し、過度の専門分化を戒めた上で土木技術者に「将の将」であれと総合性を失わないように主張しました。

古市は土木行政の面でもその才能を遺憾なく発揮しました。近代土木界の最高権威として尊重された古市こそ「将に将たる」人物であったことは間違いありません。


キャンパスガイドマップ > 本郷キャンパス

掲載日:
担当: ,