古市公威

正門を入って左、広場のようになっている場所の本郷通り側に見えるのが、古市公威像です。

古市公威(ふるいち・こうい)は1854年に江戸の姫路藩中屋敷で生まれました。そして、14歳の時に開成所に入学します。なお、開成所は名称や教育内容を幾度も変え、最終的に東京大学となります。フランス語選択者の中でかなり優秀な成績を獲得した古市は、20歳の時にフランスへと留学、土木を専攻しました。

留学中に数学の学位も取得していた古市は帰国後、東京大学理学部講師として1881年から1年間数学を教えていました。その後は内務省技師として働いていましたが、1886年には帝国大学工科大学(のちの東京大学工学部)の大学長となり、大学の体制やカリキュラムの整備に大きな影響を与えました。その後、1898年に大学長は辞任しましたが、土木局長として全国の港湾や河川の整備に関わったのをはじめ、鉄道作業局長官、理化学研究所所長、日仏協会理事長など幅広い分野で数々の役職を歴任しました。

また、古市は能を大変好み、実際に能の名人の門下に入り、東京にいる時は毎週のように稽古を受けていたそう。朝鮮で鉄道事業に関わっていた際には、部下の間でも謡曲が盛んになったと言います。

フランス留学中、専門にとどまらない広範な知識を教える諸学芸教育を受けた古市は、大学長になってからも工学についての幅広い知識を持つことの重要性を唱えたそうです。この精神は、今の東京大学に通じるところがあるかも知れません。

参考文献

土木学会 土木図書館委員会・土木史研究委員会[編]『古市公威とその時代』土木学会、2004年

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