C.D.ウェスト像

来日まで

ウェスト像

1847年1月7日、ウェストはアイルランドのダブリンに生まれました。(※注1)
18歳のときにダブリンの名門トリニティ・カレッジに入学しています。この学校はカレッジという名前ながら複数の学部を持つ総合大学で、ダブリン大学とも呼ばれます。22歳で卒業したウェストはその後製鉄所などで働いていましたが、日本からの招きに応じて35歳で来日することとなりました。

学問

1882年8月15日に来日したウェストはその日の内に横浜から東京に移動し、16日から働き始めています。工部大学校で機械工学と造船学を教え、世に人材を送り出し続けました。
ウェストは温厚な性格だったようで、学生の記録として「学生ヲ教導スルコト懇篤周到」「先生は淡泊寧静を以て己を持す、特を以て人を愛す、姑息を以て人を愛せず…(中略)…辺幅を修飾せず、怒を面に表さず、懇切丁寧を以て人に接し人を教ふ。以上は先生の自然の品性なり」などの言葉が残っています。

ただ、日本で25年間暮らしても最後まで日本語を会得することはなかったようです。当時は、授業はもちろん、学科試験や入学試験に至るまで英語で行われていたため、日本語を習得する必要がなかったといいます。
学生からしてみると、ウェストが日本語を使えないことには特段の不自由を感じていなかったものの、英語自体に訛りがあり、非常に聞き取りにくかったとのことです。それでも学生から慕われるほどの能力と人格を兼ね備えていたのでしょう。

趣味

ウェストは学者としてだけでなく、熱心なヨットマンとしても日本に影響を及ぼしました。まだ日本にヨットの文化がなかった時代にウェストは「Daimyo(大名)」「Ronin(浪人)」という2隻のヨットを設計して建造させ、自分で操縦したそうです。ちなみに「浪人」は日本で最初に造られたヨットです。(制作者はD.Blaikieという外国人でしたが。)

銅像

1908年1月、ウェストは来日25周年の勤労を謝する慰労会を目前に控え、61歳でこの世を去りました。25年間で日本に残した功績は非常に大きく、死後勲二等が贈られています。没後2年経った1910年に教え子や友人達によって胸像が建てられました。それが現在工学部1号館前にある胸像です。

エンジンの描かれたパネル

特徴的なのは台座にはめ込まれたパネルでしょう。全部で4枚あるパネルのうち、正面にはウェストの足跡が記され、右側面には製鉄所、裏面には造船所、左側面にはエンジンが描かれています。3枚のパネルは、ウェストが多分野に功績を残したことを今の時代に伝えているのです。

なお台座は、友人であり同じ時期に日本で教鞭を執っていた、建築学のジョサイア・コンドルによって作られています。台座にはめ込まれているパネル及び胸像は沼田一雅の作です。


※注1:当時アイルランド島は全て英国領であり、ウェストも国籍は英国人でしたが、アイデンティティとしてはアイルランド人であったようです。


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