東京大学の前身

東京大学の前身

東京大学の前身となっているのは、1797年(寛政9年)設立の昌平黌(しょうへいこう)と、1857年(安政4年)設立の蕃書調所、そして1858年(安政5年)設立の種痘所の3つの教育機関です。

昌平黌は儒学者林羅山が上野忍岡に興した私塾を源とし、その後、五代将軍徳川綱吉によって、徳川幕府の学問所となりました。儒学の衰退と共に勢力を失いましたが、1790年(寛政2年)の寛政異学の禁が出されたのをきっかけに、再び脚光を浴び、昌平坂学問所として、徳川家の旗本・御家人のための学校となりました。

蕃書調所は幕府の洋学研究機関として中心的な役割を果たしました。当初は洋書、特に蘭学の読解のみが教えられていましたが、外交上の要請から英語・仏語・独語の教育が始められ、西欧の科学技術を摂取するため化学・器械・物産・数学・西洋印刷術などの研究・教育も行われるようになりました。その後、1862年(文久2年)5月には洋書調所、翌年8月には開成所と改称されました。

種痘所はその名の通り、当初は牛痘の接種のみが目的でしたが、のちに蘭方異学の研究・教育機関としての体制を整え、幕府の直轄の機関となりました。1861年(文久元年)、西洋医学所と改称されました。


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掲載日: 2007年3月6日 更新日: 2007年3月6日
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