帝国大学へ

帝国大学へ

1885年(明治18年)、東京法学校が法学部に合併されました。法学校は1871年(明治4年)9月に司法省明法寮として創設され、麹町区永楽町にあった司法省の敷地内で旧信濃松本藩邸(松平丹波守)の建物を使用していました。

1886年(明治19年)、帝国大学令の公布により、東京大学は「帝国大学」に改称・改組しました。同時に学部制度が廃止されて新たに法・医・工・文・理の5つの「分科大学」がおかれ、学士研究科は大学院となりました。

本郷通り
赤門と本郷通り

このうち、新しい工科大学の起源となった工部大学校は1871年(明治4年)8月に工部省工学寮として誕生したものです。敷地は虎ノ門の旧延岡藩邸が用いられましたが、1885年(明治18年)12月に文部省に移管され、翌年3月に帝国大学工科大学となりました(このとき東京大学工芸学部と合併)。そして虎ノ門を離れ本郷キャンパスに移りました。

1887年(明治20年)には「学位令」が出され、それまで「学士」のみであった学位が「博士」と「大博士」の2つになりました。

1890年(明治23年)には駒場の東京農林学校が農科大学として加わり、6つ目の分科大学となりました。(なお、農学部は1935年に現在の文京区弥生に移転しています。)

1897年(明治30年)、京都帝国大学の設立に際して、それまでの帝国大学は「東京帝国大学」に改称されました。

その後、1919年(大正8年)には経済学部が新設されると共に、「大学令」により、各分科大学が学部となり、大学の統合性がより強まりました。法・医・工・文・理・農・経済の7学部による官立総合大学となったのです。

修復を待つ赤門
修復を待つ赤門(大正14年)

1923年(大正12年)の関東大震災の時には大きな被害を受けましたが、その後は力強い復興を遂げました。1925年(大正14年)には安田講堂が完成し、1928年(昭和3年)には震災で全壊していた図書館が再興されるなど、この時期には現在の本郷キャンパスの中核をなす建物が整備されていきました。


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掲載日: 2007年3月6日 更新日: 2007年3月6日
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