東京天文台について

現在の国立天文台は昔「東京天文台」という名前で、実は東京大学の中の組織であったというのはご存知でしょうか。そんな「東京天文台」についての記事です。

本郷にあった天文台とは?

1878年5月、東京大学理学部に「数学、物理学及星学科」が設置されました。同年9月、観象台が本郷元富士町に設置され、天文観測と気象観測を行うことになりました。その後、度々名前が変わっています。

1881年9月 「数学、物理学及星学科」が数学科・物理学科・星学科に分かれました。
1882年1月 観象台は気象観測の仕事が除かれ天象台となりました。
1886年3月 帝国大学令公布により、星学科は東京帝国大学理科大学中に置かれ、天象台は理科大学天象台となりました。
1919年2月 帝国大学令が改正され、理科大学は理学部、東京天文台は東京帝国大学理学部附属東京天文台と改称されることになりました。
1921年 東京天文台は理学部附属から東京帝国大学直属の附置研究所になりました。理学部附属だと予算が十分ではなかったためだといわれています。
1947年 戦後は、東京大学附置研究所東京天文台と改称されました。

なぜ東京大学下にあったのか?

このように文部省は東京大学のために天象台を設置していましたが、この頃は内務省・海軍省・文部省が天体観測を行う部署を別々に設置していました。設置の目的はそれぞれ暦の制定、航海のための位置観測、技術者の教育、というように少しずつ異なっていました。しかし、高価な観測器械を別々に購入するのは無駄があるということで、文部省を中心に組織を統合しようとする動きがありました。1888年12月5日、内務省・海軍省の観測機械・観測所の土地や建物は文部省所管の「東京天文台」となり、本郷にあった理科大学天象台は、海軍観象台のあった麻布区飯倉へ移されました。内務省から引き継いだ編暦・報時の業務のほか、大学としての教育も麻布で行われました。また、日本経緯度原点が麻布の子午儀があった所へ設置されましたが、経緯度原点は現在も麻布にあります。

なぜ三鷹へ移転したか?

麻布の天文台は手狭になってきたうえ、周辺地域が市街化して観測条件が悪化しました。このため、より郊外へ移転する必要が生じました。そこで1909年に三鷹村大沢の土地が購入され、5年後に天文台の建設工事が始まりました。1923年の関東大震災で麻布の天文台が大きな被害を受けたことで移転作業が加速し、1924年9月に移転はひとまず完了しました。1925年当時、中央線や京王線は既に開通しており、都心からのアクセスもほどよい郊外だったのでしょう。なお、移転後の麻布には理学部天文学教室が置かれていました(1960年4月に浅野キャンパスへ移転)。

第一赤道儀室
第一赤道儀室

レプソルド子午儀室
レプソルド子午儀室

三鷹へ移転した当時に建てられた建物の一部(塔望遠鏡室・第一赤道儀室・大赤道儀室・図書庫…)は現在も残っており、見学することができます。内部が見学できる建物もあります。

なぜ理科年表は国立天文台が発行しているのか?

先述の通り東京天文台は編暦の業務を引き継いでいます。これは民間向けの暦です。1922年ごろ、欧米にならって天体暦も編纂しようという計画が立ちましたが、海軍との調整の結果、海軍水路部で天体暦を編纂し、東京天文台で小規模な天体暦を含む『理科年表』を編纂することになり、現在まで刊行されています。

なぜ国立天文台へ変わったのか?

東京大学東京天文台・文部省緯度観測所・名古屋大学空電研究所が改組され、1988年7月1日に国立天文台が発足しました(東大の評議会で独立が決定したのは1987年7月14日)。1987年時点で東京天文台は、三鷹の本部・人工衛星国内計算施設・太陽活動世界資料解析センターに加え、乗鞍コロナ観測所(1949年開設)・岡山天体物理観測所(1960年開設)・堂平観測所(1962年開設)・野辺山太陽電波観測所(1969年開設)・木曽観測所(1974年開設)・野辺山宇宙電波観測所(1978年設置)の諸施設を有していました。このうち国立天文台へ移されたのは、野辺山宇宙電波観測所・岡山天体物理観測所・乗鞍コロナ観測所(2010年3月末運用終了。自然科学研究機構本部が管理中)・堂平観測所(2000年3月閉所。現在はときがわ町「星と緑の創造センター」)・野辺山太陽電波観測所(2015年3月末閉所。名古屋大学などが管理中)です。一方、木曽観測所は東京大学に残り、理学部附属(現在は理学系研究科附属)天文学教育研究センターの施設となりました。東京大学の学生への教育を行う機関として作られた天文学教育研究センターは三鷹キャンパスにあり、今も理学部天文学科・理学系研究科天文学専攻の学生の中には三鷹キャンパスへ通う学生もいます。

これより先は東京大学
これより先は東京大学

しかし、なぜこのような改革が行われたのでしょうか。その理由の一つに、一大学の予算では大型化する望遠鏡を建設することができないため、大学から切り離した組織とする必要性があったようです。また、大学共同利用機関として、全国の研究者の力を結集させようという狙いもありました。実際、1991年に大型プロジェクトとしてすばる望遠鏡の予算が承認されました。

三鷹キャンパスに痕跡はあるか?

生協のあるコスモス会館
生協のあるコスモス会館

三鷹キャンパスには東大生協の購買・食堂があります。カレーやうどんなど、学食でおなじみのメニューが提供されています。