駒場の建造物と内田祥三

駒場キャンパスには木が多い。それゆえなんとなく歩いただけでは気付きにくいのだが、実は900番講堂と駒場博物館とは、正門と1号館とを結ぶ線を軸として線対称のつくりになっているのだ。この三つの建物+正門とが、十字を描いて秩序ある配置をなしている。

この3つの建物や101号館を設計したのは、内田祥三(うちだよしかず)氏。安田講堂を設計したのもこの人なので、1号館が偽安田講堂と呼ばれるほど似ているのも道理である。内田氏は、関東大震災後から東大構内の復旧に携わった。当時、駒場には農学部が存在したが、総合大学は統一キャンパスにすべき、という考えに基づき、東大の他学部に接する形で本郷に校舎をかまえていた一高(第一高等学校)を駒場に移し、農学部を本郷に移そうという一高・農学部敷地交換計画が進められた。

当然と言えば当然であるが、これに一高側が反発。本人も一高出身者である内田氏は、「一高生の悪いようにはしないから」と学生を説得し、一高新校舎として東大の一部であるかのようなデザインのものを造るという条件で決着。かくして内田氏得意のゴシック調で建てられた校舎は、のちに一高が東大に吸収されて駒場に東大教養学部が設置されたとき、そのまま本当に東大の一部として引き継がれることになった、というわけである。

一高生の悪いようにはしない。内田氏は有言実行の人物だった。一高校舎を設計するにあたり内田氏は、駒場学生寮から各校舎への地下通路を考案した。これのおかげで一高生は、雨の日も雪の日も傘をささずにたった数分で教室や図書館(当時、駒場博物館の建物が一高図書館として使われていた)へと到着することができるようになった。なんともうらやましい環境である。なにせ、起床から10分後には何食わぬ顔で席についている一高生、なんていうのも珍しくなかったという。現在は、東大に引き継がれていた寮もなくなり、この地下通路は閉鎖されている。1号館に行けば、ちょっと気になる地下通路への入り口を見ることができる。

内田祥三氏は東京帝国大学の建築学科を卒業。日本建築学会会長や東京帝大代14代総長を務め、1972年には文化勲章も受章している。彼の設計したゴシック様式の建物は、本郷や駒場に不思議な情緒をかもしている。

あくまで有機的な暖かい校舎。駒場を歩けば今も、当時の形そっくりそのままに残った建造物たちが、私たちに心地よい調和を感じさせてくれる。


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