駒場キャンパス周辺と水

はじめに

駒場キャンパスは現在の東大農学部の前身である「駒場農学校」の敷地の一部である。農学校に欠かせない存在である「水」。駒場池のみならず、駒場界隈に流れる水を辿っていくと駒場キャンパス、そして東大の歴史の一端を窺い知ることができる。

駒場農学校の設置

明治維新以前の駒場の地は将軍の御狩場(鷹狩りを行う場所)であり、その際将軍の馬(駒)を止める場所がここにあったことから「駒場」の名がついたとも言われている。また、明治維新後には「富国強兵」を旗印とした新政府軍の練兵場として活用されるなど、当時の駒場野はいわば広大な「公用地」が広がっていた、ということができる。

一方「富国強兵」のもう一方の側面として近代農業の振興を図るべく、明治7年には内藤新宿(現在の新宿御苑)に「農事修学場」が設置された。しかし内藤新宿の敷地は手狭であったことから、明治9年に政府は練兵場だった駒場野に新たな農学校を開くことを決定、明治11年に「駒場農学校」が開校されたのである。

駒場の地に農学校を開設した理由としては、一つに無論広大な用地が確保できたことが挙げられるだろうが、駒場池に代表されるようにこの地には多様な水源が存在しており、農学校の立地に適しているという判断もあったものとも考えられる。

では、駒場には具体的にどの辺りに水源が位置していたのであろうか?

駒場の水田と空川(そらがわ)

駒場キャンパスは武蔵野台地の一部である淀橋台の南の縁に位置しているが、この台地は北を流れる渋谷川水系と南を流れる目黒川水系の分水嶺の役割も果たしている。

そのため、駒場キャンパス付近から湧き出した水は最終的には目黒川に注いでいると考えられている。この流れは「空川(そらがわ)」と呼ばれ、目黒川水系で最も北東に位置する川である。

現在空川は水面を完全にコンクリートの蓋に覆われた暗渠となっており、その経路を地上から特定することは困難である。しかし、様々な記録に基づけば、現在の駒場キャンパス近傍に存在している水源は主に3つあるとされている。すなわち、駒場野公園内の池、駒場キャンパス第2グラウンド付近、そして駒場池であり、いずれも当時の駒場農学校の敷地内である。これらの水源から発した流れはいわゆる「駒下」として学生に親しまれている商店街を流れ下り、国道246号線(玉川通り)付近で目黒川と合流していたようである。

それでは、この空川は当時の駒場農学校においてどのような役割を果たしたのであろうか? 当時の農学校の見取り図を見ると、駒場野公園や第2グラウンドから湧き出た水は主に水田の灌漑に用いられていたようである。明治14年にドイツから招聘され駒場農学校に着任したオスカー・ケルネル氏は本国にはない「水田耕作」という風習に着目し、含有物が少ない駒場の湧水を利用して効果的な施肥の方策などを試験したとも言われている。

一方で、駒場池付近は当時養魚池として用いられていたという記録が残っている。

これら水田や養魚池は昭和10年の敷地交換により農学校(帝大農学部)が現在の弥生に移転するまで利用されていたが、現在はその多くが消滅している。ただ、帝大農学部より分離した東京教育大学の敷地となった駒場野公園には現在も水田が残されており、東京教育大学の後身である筑波大学附属駒場中・高等学校の生徒によって今も稲作が行われているという。また、東大駒場キャンパスの坂下門の近くには今も湧水によるせせらぎが残っているなど、駒場のあちこちにその面影を見ることができる。

三田用水

一方で、駒場キャンパスの北東側の台地上には「三田用水」なる用水路が通っていた。この用水路は寛文4年(1664年)に玉川上水を分派する形で建設され、当初は江戸の上水用であったものが後に沿線の農業用水用に開放されたものである。この用水が当時の農学校にどのように利用されたかについては詳しい記録は確認できないが、天候などによって湧出量が安定しない湧水に代わる農業用水の安定水源として取水されていたとする見方が多い。

この三田用水は昭和50年に廃止されたが、当時は現在の駒場IIキャンパス正門前の通り(航研通り・コスモス通り)を流れており、その後山手通りに合流して駒場Iキャンパス裏門付近を流れ、目黒川方向へと下っていた。現在も駒場IIキャンパス正門には橋の欄干のような遺構が残っているほか、駒場Iキャンパス裏手にも暗渠化された後の用水の遺構が残されている。

おわりに

このように、駒場キャンパス周辺には様々な水源が存在しており、これらが農学校としての駒場キャンパスの立地を決定づけたといっても過言ではないようである。皆さんも駒場キャンパスを訪れた際は、是非周辺にも足を伸ばし、往時の駒場野の姿を思い浮かべながら散策してみてはいかがであろうか。

関連リンク

東大農学部の歴史:http://www.a.u-tokyo.ac.jp/history/


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