弥生キャンパスの誕生

農学部正門

農学部は以前、駒場農学校として現在東京大学駒場キャンパスの場所にあり、弥生キャンパスの場所には第一高等学校(旧制)がありました。駒場農学校は、東京農林学校と名前を変え、帝国大学に文科大学として合併され農科大学となりました。その後、1919年(大正8年)「大学令」により、東京帝国大学農学部となります。そして、関東大震災の後、第一高等学校と農学部の間で敷地交換の話が持ち上がりました。それを推し進めたのが、時の総長であった古在由直(こざいよしなお)。自身が農学部農芸化学科出身であったこともあり、総合大学として農学部も同じキャンパスにあるべきだという強い信念の下に計画を推し進めたのです。一高および農学部からも強硬な反対論が持ち上がりましたが、計画は実行され、農学部は昭和10年7月、第一高等学校と敷地交換し、弥生地区に移転しました。

ちなみに、古在は農学部出身者最初の東京帝国大学総長で、総長任期中に起きた関東大震災で大きな被害を被った大学の復興事業を成功に導いたことで有名ですが、他にもさまざまな功績をあげています。特に足尾鉱毒問題では、田中正造が衆院で政府に質問した際、政府は被害の原因は不明とし、農商務省は汚染水の分析すら拒否していましたが、当時、農学部教授であった古在が、個人的に汚染水を分析し被害原因が銅の化合物であることを証明したというエピソードは有名です。

内田祥三の設計による農学部三号館

建築物の設計を任されたのは内田祥三(うちだよしかず)教授。当時、営繕課長だった内田は、安田講堂などに見られる通称「内田ゴシック」と呼ばれる建築物を弥生キャンパスにも残しています。内田は農学部正門を入った右側に農学部一号館(昭和5年)、左側に農学部二号館(同11年)、その先正面に農学部三号館(同16年)を配置しましたが、これは正門と三号館を結ぶ線を軸に線対称となっており、本郷キャンパスの正門と安田講堂、駒場キャンパスの正門と一号館にも見られるような内田お得意の設計でした。こうして、現在の弥生キャンパスの基礎が築かれたのです。


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