堀有伸さん

1.活動のきっかけ・医療現場 | 2.「みんなのとなり組」


直接目にした東日本大震災後の様子が忘れられず、東京の大学病院を辞めて南相馬市の病院の常勤医となり、地元のメンタルヘルスサポートのためのNPO法人設立に尽力する堀有伸さん(東京大学医学部医学科卒)にお話を伺いました。

南相馬と関わるようになったきっかけを教えてください。

堀有伸さん

私は東京大学少林寺拳法部に所属していたのですが、そこの同期で、工学部で環境問題をやっていた藤野 純一くん(※1)に声をかけられたのがきっかけです。彼は当時、福島のことについて、東京に住む様々な人たちをまとめて盛り上げたり、福島に住む現地の人たちを盛り上げたり、それらをつなぐような支援をやろうと考えていました。そして、彼は2011年11月に、福島大学を本拠地にして大きな会議を開いたのですが、そこで医師も入った方がいいからと彼に誘われて参加しました。その会議で、私は様々な人々が真剣に考えたり議論したりしているところに加わり、話を聞きました。そして、会議の最終日に地元の人がオーガナイズしてくださったバスツアーに参加しました。飯舘村に行って、南相馬に行って、相馬に行って福島市に戻るという経路で。それは、かなりリアルなツアーでした。何しろ本当に被災した人たちが「私たちこんなことありました」って、ツアーを作っているわけですから。それぞれの場所で出会った人は、被災地の本当のことをわかっている人で、私の気持ちはそこから離れなくなりました。

福島に移る以前、私は東京の大学病院で勤務していていました。そこは、非常によくできた社会なのですが、ある意味、完成度が高すぎて動かせなくなっている感じがありました。特に精神科の臨床は、決まった型で対応するのではなく、個別に状況を変えなければいけないことが多く、それを丁寧にやらないといい臨床にならないという思いが私にはあったのですが、完成度が高い組織や集団の中にいるとなかなかそういう風にはできません。そういう意味で、以前から自分の毎日の生活に納得できないものを感じていました。そこに東日本大震災が起きました。医師免許を持っていれば色々やることはあるかなと思って、実際に行ってみたら本当にあった、という感じです。

私は、30過ぎまで哲学者にもなりたいという時期がありました。東京大学教養学部の時、高橋哲哉先生のカント、ヘーゲル、和辻、レヴィナスらを扱った倫理学の講義をとっていてすごく感銘を受けました。あそこで教えてもらったことや考え続けたことは、今回の私の福島行きにずいぶん影響を与えています。精神科医の同業者の中には私が哲学者っぽい研究者だと思っている人もいるので、今回、福島に移ったとき「先生、だって学者じゃない?」みたいなこといってくれた人もいるんですけどね。

東京にいながらも関わることもできたと思うのですが、どうして移住するという選択をしたのですか?

片手間ではなく、真剣にやりたかったというところでしょうか。毎週末、被災地に通っている人も真剣にやっているとは思いますけれど。ずっとそこにいて住んでいるということで、現地の人に信用してもらえるという部分もあるとは思いますね。もちろん、いろんなスタンスがありますが。

堀さんの気持ちを動かしたという地元の方のツアーの印象をもっと詳しく教えていただけませんか?

そのツアーでは、お昼ごはんは南相馬市の「銘醸館」というところで地元の人たちと一緒に食べました。私はそこで80歳くらいのおばあさんとお話をしました。その方は、狭心症のために大きく動けなかったので避難されなかったのですが、震災直後にいなくなった人が少しずつ戻ってくれてうれしかった、みたいなことをおっしゃっていました。方言をしゃべって、農業をやっていたような素朴なおばあちゃんだったのですが、会話の途中で、急にクリアな発音で「セシウム137」って言ったんです。おばあちゃんがこの言葉をきれいに使いこなすようになってしまっている。それが印象的だったかな。その「銘醸館」を出るときに、地元の人たちが並んで手を振ってくれて、「またきてねー」って言ってくれてまたので行きたくなってしまいました。

ほかにも印象的だったことはあって、別の場所では地元の建築業者の方がお話を聞かせてくださいました。去年の11月の時点だと、南相馬の海岸に近いところはもう瓦礫が片づけられていたんですけど、自衛隊や警察が入るときは道がないといけないんですよ。地元の建築業者さんが大分協力して作ったみたいなんですけど、まずその仕事を引き受けるかどうか選択するということですよね。それこそ大変なわけじゃないですか。彼ら自身も被災しているし、放射能がどうなっているかなんて今よりずっと分からない状態で、逃げようかどうしようかって思っていたそうです。でも、引き受けることにした。その理由が自分たちの家族の遺体も探しに行こうということでした。それでずっと何日も作業をしていたのですが、その方が言うには、警察とか自衛隊とかはシステマティックで何日ごとに人が交代する、みたいな規定がちゃんとあったらしいです。ですが民間業者は、そういう規定もなく同じ人が70日とか80日とか働き続けたそうです。そういう人たちは、非常に活躍したんだけどあまりマスコミで報じられないでしょう。マスコミの人が地元の建築業者に言ったところによると、その理由は、それはボランティアじゃなくて報酬もらって仕事でやっていたことだからだそうです。つまりお金もらって仕事として請け負って道路を作っているわけだから、美談として取り上げることはできないということでした。

医療施設の現状を教えてください。

医療関係者は、スタッフの数が減った中で日常業務をやりくりしている感じですね。特に看護師さんが足りません。というのは、放射能の影響を心配して、若い人から町を出ていくからです。看護師は若い女性が中心なので。このような傾向は医療関係者だけではありませんね。ご夫婦で子供のいる家庭は、お父さんだけが仕事で地元に残っていて、お母さんと子供だけがよそに避難して、お父さんが週末会いに通うということが、結構あるようです。

堀さんが働いている病院はどのような状況ですか?

規模は、震災前は病棟が4つあって250人くらいの入院患者さんがいました。地域の比較的大きめな精神科の病院として結構盛んにやっていたようです。現在は病棟が一つだけになり、60床だけでやっています。そこで対応できなくなった入院患者さんは県内外のいろんな病院で引き受けていただきました。そのような患者さんたちが戻ってくる具体的なプランはまだ動いていません。引き受け先を見つけるのはとても大変でした。それはもう、行政も担当の病院も、みんなで大変な思いをしてやったんだと思います。

現在の堀さんの一日のスケジュールを教えてください。

朝6時くらいに起きて、地元の人と一緒にラジオ体操をやります。それから、一旦家に戻って8時前くらいに病院に入ります。病棟の外来や病棟の勤務をして、夜の6時から7時くらいには一応は終わります。患者さんの数が多いわけではないですからね。でも、当直は週二回くらいはやっていますね。ボランティアとか市民活動みたいなものが盛んになっていて、そういう集まりは自分たちが主体的にやっていることもありますが、ほかの知り合いがやっているそういう集まりに声をかけていただくことも多いので、そういうものには一生懸命参加するようにしています。

震災後は、入院している患者さんがもっと悪くなるなどといった変化はありますか?

東京だろうがどこだろうが、どんな場所でも一定の割合で、精神病院に入院しなければならない程精神状態が悪くなる人はいるわけです。だから例えば、東京で働いたときに比べて、ものすごく数が多いとか、ものすごく重症な人が多いかっていうとそういうわけではありません。きっちり比較の対象がないとはっきりとはいえないんだけど、今までの経験と比べて、現時点ではものすごく重症な人がいるわけではありません。

では、軽傷のひとが増えるかもしれない

町を歩いている普通の人が、ちょっとした抑鬱症状とかトラウマ反応をサブクリニカルな、要するに診断基準に当てはまるほどじゃないけれどちょっと疾患を持っているような人ばっかりみたいな感じですね。だから先日の金曜の夜なんかまさにそうですよね(註:取材した12月9日の2日前の金曜に三陸沖を震源地とするM7.3の大きな地震があった)。地震の後に、「津波が来るかもしれない、原発がまた事故を起こすかもしれない」とうろたえていた人がたくさんいたんです。

あと、これは強調しておきたいのですけど、精神科の治療は、ある程度生活が安定した上で、ようやく本格的に取り組むことができるんです。たとえばトラウマ、つまりPTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療なんかでも、実は一番大事なのは生活が安定しているってことなんですよ。生活が安定しないままにわざわざトラウマ的なことを思い出させて話させると、いいことと悪いこと考えると、ひょっとしたら悪いことの方が勝っちゃうかもしれない。だから、生活が本当の意味で安定しないと、町の人が将来の生活についてトラウマ治療、鬱病なんたらっていうのをあんまり全面に出す活動はやりにくい。

例えば、阪神淡路大震災の時に、PTSDのことを16か月後に調べたデータだと、家屋が全壊の人と半壊の人とインタクト、つまり家屋に被害がなかった人では、有病率の差がはっきりとありました。そういうデータがあると「PTSDの治療やりますよ」とか余計なことを言うよりは、環境を整えて、早くちゃんとした家に住めるようにする方が、もしそれが難しいのだったら現在の厳しい環境がすこしでも緩和されるようにすることの方が優先して行われるようべきではないかなって思いますね。

よく寝て、おいしく食べるところからまずスタートするということですか?

その通り。やはり、仮設住宅で隣に気を遣いながら、びくびくしながらトイレもやって、外に出ないで、家いても何にもやらなくて、仕事も無いし「将来自分どうなっちゃうんだろう」「放射能たくさん浴びたから将来自分はガンになるんじゃないか」と思いながら、とりあえず目の前に賠償金だけあるからパチンコやるみたいな生活している人もいるかもしれないのです。そんな中で、「トラウマについて」って言われてもなかなかぴんとこないじゃないですか。

(※1)藤野純一 1972年東京都生まれ、大阪育ち。1995年東京大学工学部電気工学科卒業。現在、国立環境研究所社会環境システム研究センター(持続可能社会システム研究室)主任研究員。


1.活動のきっかけ・医療現場 | 2.「みんなのとなり組」