佐々木敦斗さん

1.SAVE IWATE 東京「支部」 | 2.活動を通して


現役の東大生でありながら、被災地復興支援のために活動をしている教育学部4年の佐々木敦斗さん。佐々木さんが代表を務めるSAVE IWATE東京支部が出店している販売会におじゃまして、佐々木さんからご自身の活動と思いについてお話を伺いました。

今の活動を簡単に教えてください。

佐々木敦斗さん

「SAVE IWATE東京支部」という団体を2011年の10月に立ち上げまして、最初は物資を東京から岩手に送るという活動をしていました。今はそれがだいたい落ち着いたので、東京で復興支援に繋がる商品を販売しています。

震災から今までのことを伺いたいと思います。まず、震災当時のことを教えてください。

私自身岩手の出身なんですけど、震災が起きたときは東京にいました。自宅である豊島区の岩手県学生会館にいたときに地震に遭ったんです。そして、どうやら震源が東北らしいということを聞いたんですね。テレビをつけたら大津波警報が出ていて、今でも鮮明に思い出せるんですけど、気仙沼港が映っていて。でも気仙沼港には特に津波は来てなかったから「今回も来ないのかな」って思ったんです。でも、画面が気仙沼から釜石に切り替わって、こっちでは波が岸壁を越えていたんです。その次は宮古が映し出されました。宮古は私の父の故郷で、親戚もみんないる場所です。自分の見慣れた風景がNHKのカメラに映し出されたんですけど、そこでは10mくらいの津波が来ていて、これはもうやばいなと思いました。

まず家族の安否を心配したんですけど、当日はなかなかつかめなかったんです。親族と連絡がとれない中でふと考えたのが「東京で何かできないか」ということ。私自身は帰宅難民でもなくて自宅にいるし、ネットも通じるし、ライフラインもあるので、何か出来ることはないかなと思いました。それで始めたのがTwitterです。Twitterで現地の宮古市の情報を発信しようと考えました。僕は当時Twitterのアカウントを持っていなかったので、ゼロから始めて、ラジオをつけ、USTREAMでテレビを見て、ソ―シャルメディアとかネット上のニュ―スサイトとかを見て、いろんなところから情報をかき集めて、当日の夜からTwitterでどんどん発信しました。ほとんど寝ずに2日間ぐらい発信を続けていたらフォロワ―が300人くらいになって、やっぱりそういう、宮古の情報を知りたい人はたくさんいるんだなと。そういう人に対して、自分が土地勘のある地域の情報を発信しようと思ってTwitterを続けました。それが当日から数日間の動きです。

その後どのようにして、もっと大きい活動をしようということになったのですか?

最初、大きいことは本当に考えられなくて、団体を立ち上げるなんていうことも全然考えられませんでした。というのも、私自身が宮古に行ったのが震災の2週間後なんですけど、そこでは私が見慣れていた風景が全て、もう、よく分からなくなっていたんです。子どもの頃に花火を買ったような、ジュ―スを買ったような、よく行っていた商店が跡形もなくつぶれていて。その風景にすごく心を痛めてしまって、何も動けない感じになってしまいました。あまりのショックで、東京に戻ってからも地震が起こるたびに「わ―っ」と飛び起きるくらいで。

そこからやっと立ち直れたのが夏くらいですね。そして、8月に盛岡を拠点にボランティア活動を行なっている「SAVE IWATE」で初めてボランティアをしました。そこで、全国から送られてくる物資を捌いたり、自分で車を運転して物資を届けたり、被災した子どもたちの学習支援をしたりと、そういう活動を夏休みの間に延べ20日間くらいはやっていました。

そこからどういう風に現在の「SAVE IWATE東京支部」へ発展していったのですか?

東京でできることをやりたいと思ってやっているんですけど、このこと自体は震災直後から考えていたんです。ただ、何をやっていいかわからないし、東京で何かをやったとしても、それが確実に東北の復興につながるかといったら、おそらく役に立てる範囲はかなり限られてくると思うんですね。でも、現地でSAVE IWATEに参加したときに現地のスタッフの方から「ぜひ東京でも何かやってくれ」と言われたんです。それで、じゃあやるかということになって、当時SAVE IWATEが物資を集めていたのに合わせて東京でも物資を集め始めました。物資の倉庫は、当時私が住んでいた岩手県学生会館の空き部屋。これが「SAVE IWATE東京支部」のはじまりです。物資の中でも、こまごました物ではなくて、例えば家具・家電や布団など、大きかったり重かったりして東北に送るには送料のかかる物を集めました。送る側である東京の人の送料負担を軽減すれば荷物も出しやすいだろうと考えたんです。東京に一つ拠点を作って物資を集めて、SAVE IWATEのトラックに来てもらって、物資を送り返す。現地のSAVE IWATEとその東京支部としてやっているので、SAVE IWATEと連携をとりながら物資をやり取りしていました。

物資のやり取りからどういう風に活動が広がっていったのですか?

最初に物資がどれくらいあったかっていうと、本当にゼロですよ。ゼロの状態から始まって、最終的にトラック10台分くらいを集めて現地にお送りしました。今中心的にやっている、被災地の商品の応援をする販売会でも、40回くらいやって計200万円くらいを現地に届けました。

この広がりを支えてくれたのはやっぱり東京での人のつながりですね。まずは今日も出店している豊島区というつながり。活動を始めたとき、私たちの拠点である岩手県学生会館が豊島区要町にあるので、まず豊島区の周りのみなさんに広げようと考えました。それで、豊島区の方々にチラシを配ったり「こういう活動があるんですよ」という風にお話ししたりしていたら、そこから豊島区のNPOの方々や区役所とうまくつながっていったんです。豊島区というすごく狭いコミュニティの中ではあるんですけど、だんだん「復興支援といえばSAVE IWATE東京支部だ」「豊島区で復興支援をやってるといえばこの団体だ」と認知されるようになってきた。そういうことがまず一つのつながりではありますね。
あとはやっぱり、東京で復興支援をしたいという団体のみなさまとのつながりもすごく深いですね。「NPO法人遠野まごころネット」という東京にも事務所を持っている大きい団体があって、こちらとも協力しています。あとは岩手県や盛岡市の東京事務所に話をしに行って、そこから販売会に出店させてもらうということもよくありますね。

私自身が講演会でお話しすることもあるのですが、そういった復興支援系の講演会を通して、他の支援団体の方とつながる機会も多いです。今日も「地域支縁団体ARCH」という団体のメンバーが手伝いに来てくれているのですが、このARCHが復興支援活動をしている学生を集めたパネルディスカッションを企画したとき、そこに呼ばれて喋ったことがあります。

お話しするというのでいえば、講演会のほかに学校の授業にもけっこう呼ばれましたね。やっぱり小学生には小学生向けの、高校生には高校生向けの喋りをしなきゃいけないんですけど、そこでは自分が豊島区や東京でどうつながりを広げて、どういう思いで復興支援に取り組んでいるのかということを喋りました。

今は販売会を中心に活動されているということですが、販売会はどのような規模・頻度で行なわれているのですか?

だいたい1年くらいやってきて今日が44回目なので、2、3日間通しでやったものを考えると、年間で50日くらいは店頭に立っていることになります。だいたい週に1回のペ―スですね。SAVE IWATE主催はほとんど無くて、ほかの団体が主催しているイベントに出店することが多いです。今日は豊島区のえんがわ市っていうのに出しています。

見たところ今日は食べ物が中心みたいですが、ほかにぞうきんもあるとお聞きしました。

復興ぞうきん

あるある、今日もあります。被災地の方が手縫いで作った「復興ぞうきん」という物を1枚300円で売っています。そして、そのうち200円が復興ぞうきんを縫った方に入る。縫った方の本人の名前がラベルに書いてあるので、自分のお金が届く相手の顔がわかるようになっているんです。さらに、住所も書いてあるからお手紙も書けるし、そこからやり取りもできる。顔が見えるぞうきんなんです。なんでこれだけの額を現地に送れるのかというと、タオルや糸や裁縫用具といった材料を支援物資として集めているので、費用がほとんどかからないんですよ。原価がほとんどゼロだから300円のうち200円を被災された縫い手さんに渡すことができて、残りの100円が私たちSAVE IWATEの活動資金になる。ここにもいろんなつながりがあるんです。

食べ物も被災地のものなのですか?

今日売っているサケフライは宮古の水産加工会社のものですね。ここも工場の1階が津波で浸水して、全壊こそしていないものの冷蔵庫などの設備がほとんどやられたところなんです。でも徐々に復活をして商品も増えてきたので、そこから私たちがサケフライやサンマを仕入れて「宮古市のサンマですよ」「これが宮古の美味しいサケですよ」ということをPRしています。

復興ぞうきんや食べ物の他には何を売っているのですか?

クルミ

カレンダ―とか、山田町のお醤油とか、あとはクルミですね。クルミも三陸に生えていたもので以前はタダで採っていたんですけど、そういう埋もれていた資源を商品化するんです。クルミを割って剥くという作業も被災地の方々にやってもらうことで、職作りにもつながる。

資金や物資を送るだけじゃなく、現地と結びついて、っていうところが大きいんですね。

それはもうその通りで、やっぱり私たちはSAVE IWATE東京「支部」なんです。だから活動の中心には盛岡市を拠点にして復興支援をしているSAVE IWATEがある。私たちはあくまでその支部なので、SAVE IWATEの「こういう物を売ってほしい」とか「こういうPRをしてほしい」というニ―ズを受けてこっちで広げていくことになります。

やはり東京は被災地からすごく離れているので、現地のニ―ズが届きにくい。その分、現地と結びついたSAVE IWATEと連携するということは非常に重要なんです。


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