カリサ・グロリア・リム・フランシスコさん

フランシスコさん

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「世界の知」という言葉をキーワードに東大の未来はよく語られる。毎年50人前後の留学生が東大に入学し、彼らは1年から4年もしくはそれ以上の時間をこのキャンパスで過ごしていく。東大から世界へ、世界から東大へ。人、知、そして経験というその交流の真っ只中で学生生活を送る4年生のカリサさんにお会いした。

外の世界へ

日本に来なければならなくなるまで私はフィリピンの外へ出ることなんて考えもしていませんでした。生まれてからずっとフィリピンで育ち、家族が大好きで日本に来てからも機会があるたびにすごく頻繁に一時帰国をしています。それはフィリピンが好きというよりかは家が大切なんです。そんな私が家を離れて日本へ来ることになったのは留学が決まったときに、「あなたが今年ただ一人の奨学金の受取人です。」と言われたことが理由の一つでした。

私はフィリピンでとても甘やかされた人生を送っていたと思います。何かが必要なときにはなんでもすぐにでてきたし、両親にもすごく依存していたと思いますね。出かけるということにも親の許可が必要なくらいでした。フィリピンの大学で経済と会計を専攻していた3年目、日本へ行く留学制度に申し込んでみました。友人と、もしかしたら誰かが受かるかなという興味本位な程度でした。なので実は私は奨学金を授与されたとき、いくらかの迷いがまだあったんです。そしたら周りの人に行くように勧められました。「こんな機会は頻繁にないぞ」って。しかもそれが日本だということも大きかったと思います。第三世界の国では、日本のイメージは本当に大きいです。もしあの留学制度が日本でなければ、私の両親は海外に行くのを奨励しなかっただろうと思います。唯一の奨学生であったこと、しかもそれが日本であったこと、その2つの名声があったことで、私は日本に来ることを決めたんです。

東大を経験する

私は最初に大阪外大に通い日本語の勉強をしました。来日した時は「はい」という日本語すらわからなかったので大変でした。ここでの自分の成績によってその後どの学校に通うのかが決まったので、他の留学生もみんながんばりましたね。私は人伝に日本で一番の学校は東京大学だと聞いていたのですごく東京大学に入りたいと思いました。もし東京大学に入れなければ日本に残っていたかどうかわかりません。東京大学でさえ、フィリピンではあまり有名ではありませんから。東京大学に入れたときは、本当に嬉しくて興奮しました。

入学して、最初の二年間が教養学部というのは予想外のことでした。卒業するまでのすべての時間割が決まっていたフィリピンと違って、多くの選択肢があったことが私は好きでした。自由は、東京大学で最も印象に残ることです。授業の組まれ方が学生に多くの選択肢を与えてくれていると感じます。

ただ、ある意味自由すぎた部分がないとは言えません。学生が授業の内容を理解したかどうかを教授はあまり気にしているようではありませんでした。淡々と授業が進められるんですね。たとえば宇宙科学の授業を履修したとき、私は星や惑星という単語さえ日本語で知らなくて全く道に迷い、電子辞書に頼りっきりでした。先生に英語の参考文献について質問したんですが、ただ講義を聞いているようにという返事しかもらえませんでした。これはいくつかの授業で経験したことでした。私は教科書を使用した授業に慣れていて、これは例えば質問をしたいときなどにも便利だと思います。だけど東京大学では1時間半の一方通行の口頭講義という形式がほとんどで、自分が何かを吸収するか否かはその限られた時間にかかっています。私が驚かされたもう一つのことは、学生が授業中に居眠りしていることを誰も気にしないということでした。多分それは受講者の数のためでもあるかもしれません。私はフィリピンで30~40人の大きさのクラスに慣れていましたが東京大学では200人または300人の授業ということもありました。それは1人の先生が面倒を見るにはあまりに大きすぎます。個人的にはすべてが日本語だということ自体は日本語の勉強を強制されたのでよかったかなと思っています。

三年生になり国際関係の専攻に進学しました。この学科では国際法、国際政治、国際経済など非常に幅広く学びました。同級生は熱心でいつも忙しそうにノートと本を全て読み込み、全部を完璧によく理解しているという印象でした。私はというと生まれながらの詰込主義です(笑)。国際関係の学科に入るのはとても競争が激しいと聞いたので、私の周りの学生はすごく勉強をしていたんだと思います。ただ、東京大学に入ったときも同じことを感じたのを覚えています。二年後の進学振り分けに向けて入学直後から一生懸命勉強をしているようでした。私が学校に行ったマニラでは、入学試験のために非常に競争的な環境を経験しましたが、入学後の環境は違ったんです。東京大学では学生が大量のノートや資料を普段から持ち歩いているのを見て、私は「もっと落ち着いて」と言いたくなりましたね(笑)。 留学生はいろんな意味で自分を頼りにするしかなかったと思います。三・四年生で国際関係の学科に進めたことはよかったです。英語の教科書が見つかったり、留学を経験していて言語の問題などについて理解を示してくれる先生に恵まれたからです。そのことでちょっと安心しました。

留学生として送る大学生活

フランシスコさん

東京大学で最も努力したことは文字通り、生き残ることだったと思います。私はあまりのんきでいられなくどちらかというとがり勉かもしれません。試験期間中にストレスをためるタイプですね。この過去4年間、ひとつずつステップを確実に昇ることに集中してきました。基本的に普段は放課後家に帰り一休みしたあと勉強をして過ごし、サークルや外に出かけて楽しむということはあまりできなかったです。今は少し楽になりましたが、まだ日本語を100%理解していない状態で授業を受けているので暗中模索な感じです。

学校で一番好きな授業は中国語です。最初は、自分の知らない言語でもう一つの新しい言語を学ぶなんて考えられなかったんですよ。でもその授業が唯一私が他の皆と同じ土台で勉強できる科目だということに気づいて、テストがよく出来たときは特別嬉しかったですね。それと中国語で母と話せるようになったことも、とても楽しくて好きでした。でも今はその後の日本語の勉強で中国語がちょっと危ういですが(笑)。

フィリピンでの大学生活の過ごし方はちがったんですよ。たとえば経済の学生団体の副代表を務めたり私はとても活発な学生でした。日本に来てからは言語の問題が大きかったんです。例えば周りには来日した時点ですでに日本語をある程度勉強してきている韓国人や中国人の留学生もいましたが、彼らはもう少し気楽に見えましたね。ただひとつ、どの留学生もがきっと口を合わせることは、日本人と留学生の間にある溝です。ある一定の距離以上親しくなることが難しいと感じて、結局留学生は互いに固執することになってしまった部分があると思うんです。留学生の知り合いで本当に親友と呼べる日本人の友達ができた人はとても少ない。それは残念ですが、私たちは日本が留学生にとって未知であるように、日本の学生にとって私たちが全く新しい存在であることも理解しているつもりです。日本の学生の中には、外国人と接したことがない人もいると思います。お互いに壁を越えることをおそれているんじゃないでしょうか。これから日本に来ようと思っている留学生には、まず言語をがっつり学び、そして日本に来てからはたくさん友人を作ってほしいと思います。自分と同じように苦しんでいる誰かがいるということを知ること、それがたいへん助けになることもあります。

自分を見つける

日本に来たとき私は本当に一人ぼっちでした。初めて家族から離れることと同時に自分が育った国の外へ行くということが起こったことはとても衝撃的でした。すごくホームシックになり、今でも自分の家が恋しいという気持ちは変わっていません。日本で少しでも落ち着きを感じられるようになるには、少なくとも2年必要だったと思います。大阪外大で1年を過ごし、東京へ移り東大に入り、そのような短い期間でいろんなことが大きく変化しました。適応する時間もなく慣れるのが容易ではありませんでした。私は日本が好きですが、小さなことに驚かされることがあります。例えば若者の高齢者との交流の仕方にカルチャーショックを受けたり。フィリピンで年上の人へ敬意を払わないことは大きなタブーで、日々の生活の中でも家族のアイデンティティというものに深い注意を払います。その習慣にとても慣れていたので日本でそれがなかったとき、最初はそれが間違っていることだと感じました。が、次第に文化的な違いとみなすようになっていったと思います。

最初は一人でいることは辛いです。しかし、別の見方をすれば自由を獲得できるんです。日本に来てから私は確かに自立したと思います。自分でお金を稼ぎ、費やし、欲しいものを決めて、やりたいことをする。それを今は楽しめていると思います。私は、もう昔の私ではないと感じています。実はフィリピンでの昔の生活に戻ることが想像できないんです。日本は本当に興味深くて、日本で得られる最も幸せなもののうちの1つは新しいものとの出会いです。すごく興奮しますね。新しいものに対して尻込みすることはありません。「これがたった一度の機会かもしれない!」と考えるんです。もしフィリピンにいたら絶対に経験できないことがたくさん日本にはあります。フィリピンで冒険好きでいることは難しく、時間と環境が限られた生活の中で新しいものに挑戦する気持ちはあまり起こりませんでした。私は日本に来られたことに感謝しています、決して後悔することはありません。もし家族がもっと近くにいたら一生日本に住んでもいいと思いますよ!(笑)

東京大学を卒業した後はフィリピンの大学を終えるために帰国し、その後就職をしようと思っています。フィリピンの外で働いてみたいですね。日本での経験によって本当に海外で暮らすことが楽しいと教えられました。たとえば単純に日本とフィリピンの輸送機関システムを見て比較するだけで、日本がなぜ先進国であるか容易に説明できると思います。これは本当に世界が広がる経験です。 故郷はずっと故郷であり続けますが、これからのキャリアのどこかで海外に行けることを望んでいます。欲を言えば例えばシンガポールなどフィリピンに近い国に行けたら素敵です。それは実はこの過去5年間でいろいろうまくいかなくなったときに、翌日飛行機で家に飛んで帰ったことが何度かあったからです。やっぱり家の存在は私にとって非常に大きいのです。仕事は大手の多国籍製造会社のマーケティング関連のことに興味を持っていて、他の国の人に出会える機会がなんといってもその魅力なんです。いろんな異なる背景の人と会えることがなによりも楽しいと思います。これは私が日本でもう一つ得たプラスですね。フィリピンでは決してたとえばネパール人やロシア人に会えるなんて想像もしていませんでした。ところが今はネパールやロシア、世界中の国の友達ができました。そしてもう一つ私にとって大きなことは日本で働いていくことを一つの大きな可能性だと思っていることです。5年前日本に来たばかりのときは決して大学卒業後に日本にいたいなんて思っていませんでした。これほどオープンになったんです。日本での生活は、本当にゆっくりと確実に私を変えました。嫌いだった場所が今は大好きになりました。物事は本当に変わるんですね。

「好き」になること

勉強をする上でのモチベーション、それは常に将来を見ることです。私は「良い学校に入れるように良い成績をとって、良い仕事を得よう」と考えていつも勉強をします。あと教育熱心な両親のことも考えます。でも「何のために勉強をするの」と問うことはありません。それは親に、「教育が何かを成し遂げるための鍵としてあなたが得られる最高のものである」と聞かされてきたからかもしれません。そして「誰にもそれを奪うことはできない」と。洗脳されたんですかね(笑)。これが常識だというかもしれませんが、時々教育を当然のこととして受けている人に会います。でもみんながしているからなんとなくやっている、そういううちは何も起こせないと思うんです。それではきっと何も成し遂げられない。大学ではなんでもいいから、自分のやっていることを楽しめれば最高だと思う。きっと好きになってやれば良い方向に向いていく、私はそう信じています。


フランシスコさん

カリサ・グロリア・リム・フランシスコ
フィリピン(マニラ)出身
教養学部総合社会科学科国際関係論分科4年

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