加藤大基さん

加藤大基さん

東京大学医学部を卒業し、放射線治療医として勤務を続けていた加藤大基さん。しかし、あまりの激務から第一線を退き、そしてその後には自身の肺に癌を発見することとなる。東大病院地下の放射線科にて、加藤さんの大学時代からこれまでについてお話を伺った。

東大を目指したきっかけ

僕は、もともとは東大というよりも医学部に行きたかったんです。一時期、医者から暴言を受けるなどの「ドクターハラスメント」が問題になっていて、自分ならもうちょっと違った接し方ができるんじゃないかと思ったんですね。それで医学部に行きたいな、と思うようになったんです。

現役で大学を受験したときには、前期日程では東大ではない大学の医学部を受験したんですが不合格で、後期日程で東大の理科二類に合格して、東大に入学しました。ですが、やっぱりどうしても医学部に行きたいと思うようになり、東大に通っていてなんとなく東大が身近な存在だったので、改めて理科三類に入りなおした、という経緯があるんです。だから、もともとは東大をすごく希望していた、というわけではないんです。

学生時代

2年生までは理三も他の科類と同じ教養課程で、進振りもないのでみんなわりあい自由にやっていました。その後、3・4年では基礎医学という、生化学や生理学、解剖学など実験系に近いことを勉強しました。それに関しても、あまり縛りが強いわけではなかったので、まったりとやっていたんです。その後5年になると病院実習というのが始まって、東大病院やその関連病院に行くようになります。それでも、朝から始まって、夕方5時くらいには帰れることが多かったですね。

僕がちょっと大変だなと思ったのは、卒業試験の時期でした。6年生の12月の終わりから2月の始め頃まであったんですが、全部で40科目以上あって、それを毎週月・水・金曜日に3科目ずつというような形でやるんです。記述式で、やたら難しい問題がでるんですよね。国家試験がその後の3月くらいにあって、こちらはマーク式の試験なんですが、ちょうど国立大学のセンター試験と二次試験のような関係で、国家試験と卒業試験では全然関係ないような問題も多いんです。それで、みっちり勉強しないといけなかったので、最後の数ヶ月間は大変でした。

全体を通してみると、東大のいいところでもあり悪いところでもあるんだろうけれど、学生の自由度が高かったですね。「医学部って大変でしょ」とよく言われたんだけど、東大の場合、卒業の半年前くらいまではそんなに大変なことはなかったですね。読書をしたり旅行をしたり、いろいろ自由に使える時間が多かったというのは良かったかなと思います。

勤務医として働いて

加藤大基さん

卒業後に国家試験があって、5月から研修医となるわけです。するともう、「研修」という名前はつくけれど、手取り足取り教えてくれるわけでもなく第一線で働くことになります。病棟を持つと朝8時から夜12時を過ぎるまでは当然勤務、という生活になりますね。

1年目は東大病院で研修を受けていたので、本郷の近くに住んでいました。学生時代は楽だったので、自宅のある横浜から1時間半以上かけて本郷まで通っていたわけですが、病院に勤めると夜中に患者さんの急変で呼び出されることもあるので、本郷の近くに住むことになったんです。本郷の正門が当時は夜の12時に閉まって、それを過ぎると学士会分館の前の門までまわることになるんだけれど、それは遠回りだったので、何とか正門が閉まるまでに帰ろうと思って一生懸命でしたね(笑)

今は制度が変わっているんだけど、僕らの頃は卒業してすぐに何科に行くか決めるシステムだったんですね。それで、僕は全身を診られるところがいいと思っていたので、放射線科を選びました。放射線科というのは大きく分けると、CTやMRIを読む診断学と、癌に放射線のビームを当てて治療するような放射線治療、それからPET検査(放射線同位元素を体に注射することで体の機能などを調べる検査)などをする核医学というのがあるんですね。東大病院に1年間いたあとに外の病院で研修を受けたんですが、僕は2年目は診断学のところにいて、検査に来た方のCTやMRIを読むだけだったので、夜中に呼び出されることもなくてそんなに辛くはなかったんです。その後3年目、4年目はレジデント(研修が終わったあと、正式な職員になるまでの医師)として癌研病院、国立国際医療センターで放射線治療をしていたのですが、ここはがんの拠点病院で、患者さんはたくさん来るし、病棟にいる患者さんは重症の方が多くて、月に何人も亡くなるんですね。そうすると、土日であっても夜中であっても患者さんの具合が悪くなれば呼ばれるので、なかなか病院から離れられないような生活になってしまっていました。その後、東大病院に戻ってきても同じような生活でしたね。

その当時は相当仕事がハードで、倒れないのが不思議なくらいでした。それで、続けている人に対して申し訳ないという気持ちはあったんだけど、精神的にはかなり病んでいたので、少し距離を置かないといけないと思って第一線を離れることにしました。

癌が見つかって

加藤大基さん

東大病院を辞めてから約1年後に癌が見つかったのですが、僕は普通の場合とはちょっと違っていたんです。癌というのは、CTやMRIで見ただけでは悪性だと断定できないので、細胞を取ってきて顕微鏡で病理検査をして初めて診断がつくんです。それで、普通は病理検査で癌だとわかって、じゃあ手術をしましょうという形になるんですね。ですが、僕の場合、まずレントゲンに影が映って癌かもしれないということになったのですが、それが肺の奥の方で、細胞を取るのが難しかったんです。それで結局、病理検査よりも先に手術で病変部とその周辺の組織を少し取って、それを手術中に顕微鏡でのぞいてみた上で、良いものだったら小さく取っておしまいにするし、悪いものだったら周りのリンパ節なども含めて全部を取ってちゃんと治療しようということになったんです。だから、自分が癌だとわかったのは、手術が終わって全身麻酔からさめた後だったんです。

率直な感想としては、全身麻酔を受けたのは初めてだったので、手術で死ななくて良かったな、というのがまずありました。画像検査から8割9割は癌だろうと思っていたので、とりあえず手術が順調に行ってくれたことに安堵したというほうが大きかったんですよ。それに、手術をするまでは、転移性癌というのを疑っていたんです。転移性癌は、ほかのところに病巣があって肺に転移しているということですが、そういう病気はまず完治しない、つまり数年内に死に至るということになります。だから、そうでなかったということで安心しましたね。一般的には、がんと聞くと頭が真っ白になっちゃうなんて話もあるけれど、僕の場合は、最悪を想定していてそうではなかったとわかったので、むしろショックは少なかったですね。

現在

現在は、東大病院には週に1度だけ来ていて、あとは自分で探したクリニックで働いています。東大病院を離れて第一線からは退いたんですが、医師免許を剥奪されない限り医者は医者なんですよね。当然、まったく働かなければ無収入になってしまうので、少しずつ診療はしています。ただ、以前のように健康というわけではなくて、働きすぎて免疫力が低下すれば再発リスクも高まるので、病棟を持たないで外来のところだけで診察するというような形でやっています。

がん患者といっても、癌が見つかった時点で余命2~3ヶ月という人もいるし、早期で見つかってほぼ100%完治するという人もいるので、自分が癌になったからといってがん患者すべての気持ちがわかるわけではないんです。ただ、僕のように、手術で一応全部取りきれた、けれど再発の危険性もある、という方も結構いて、そういった方でも、中にはすごく再発に対する不安みたいなものを抱えて生きていらっしゃる方もいるんですね。でも、再発するかしないかというのはどんな名医にも絶対にわからないので、不安を抱いて悩んでいても仕方がないことなんです。それは、医者としては当然わかっていたことなんだけれど、健康な医師が患者さんにそういうことを強く言うと「あなたはがんじゃないから患者の気持ちがわからないんだ」ということになりかねない。だけど、今だったら自分も同じような立場だから、一歩踏み込んでお話ができるかな、とは思います。

学生に向けて

加藤大基さん

僕は歴史が好きなんです。本郷も非常に歴史のあるところで、武士の住居跡なんかが山のようにあるので、そういうところに授業を抜け出してちょっと行ったこともありました(笑)あるいは、学内にも銅像のような由緒あるものが多いので、学生時代にはそういったものに自分の好奇心をくすぐられたということは大きかったですね。社会人になってから勤務をサボるなんてことはできないですし、あるいは旅行するにしてもまとまった時間はなかなか作れないので、そういった学生時代にしかできないことをぜひやってください。

プロフィール




 1971年生まれ、医師。東京大学医学部卒業。国立国際医療センター、癌研究会付属病院、東京大学医学部付属病院などで放射線治療医として勤務。著書に『東大のがん治療医が癌になって』(ロハスメディア)がある。