伊藤博美さん

1.理解のアウトプット | 2.知の拡散と収斂


2008年春、東大国語研究室の博士課程に、高校の国語の先生が入学した。

3度目の大学生活にして東大にやってきた伊藤博美さん。たくさんの生徒に国語を教える傍ら、自身の研究への情熱を持ち続ける、その原動力とは何なのだろうか。

スポーツと本が好きだった

伊藤博美さん

私は小さい頃から身体を使うことが好きで、大学時代まではずっとスポーツをやっていました。小学校・中学校では野球を、高校・大学ではずっと陸上競技をやっていました。一時期は陸上で身を立てようと思っていたこともありましたので、かなり練習はしたと思います。毎晩小石を持って、隣の駅にそれを置いてくる、という目標をたて、片道6,7kmの道のりを往復したりしてました。スポーツに関する専門書もかなり読みましたよ。陸上競技だと種目によって求められる心肺機能、筋肉組織などが違うので、理想とされる心肺機能はどうなのか、それをつくるためにどういう風にトレーニングすればいいか、そういう科学的なことが書いてある本は自分で買って読んでいました。それでどれだけ自分を高めていけるかというのに興味がありましたね。今から思えば、たいした才能はなかったんですけど(笑)。

スポーツの専門書に限らず、本を読むこと自体も好きだったので、興味を持つ方向は結構拡散していました。文章を書く仕事がしたいと思ってみたり、自然科学に関する本を読むとそちらの分野に進みたいと思ってみたり、その時その時で自分の興味あることをやってみたいなと漠然と思っていました。

高校を出た後は、大学に進み、国語学を専攻しました。本を読むのが好きだったので、それで仕事ができればいいなと漠然と思ったのがきっかけですかね。大学でも陸上はやっていましたけど、この頃にはもう自分の力の限界を感じていました。死ぬ気で頑張ればもっと伸びたかもしれませんが、自分の進路に確信が持てなかったので、大学に入ってからはむしろ本を読んで好きなことをしていようと思っていました。

勤めはじめた頃

伊藤博美さん

大学を出て教師になるということは、最初はあまり考えていませんでした。東京の出版社をいくつか受けて、当時はバブル景気だったためかあっさり内定ももらったんですが、出版社に行くか教員になるかで悩んだ末に、結局教員になりました。

最初に赴任した高校ではさまざまな経験をしました。何か鬱屈したものを抱えながら、それをどうしたらいいか分からない、漠然とやりたいことがあるけどどう実現したらいいか分からない、というような悩みを抱えていて、そのために何らかのアクションを起こすんだけど、結果的にはそれが社会にとってプラスにならないケースが多い、なんていう生徒も多く見てきました。でもそういう子たちって感受性が非常に強かったりするんですよ。普通の子が気づかなかったことに深いレベルで気づいたりするんです。そういう生徒たちに触れていて、自分自身人間に対する見方が甘かったな、狭かったな、とものすごく反省しました。本で読んでいた世界や、自分の経験してきた高校・大学生活が普通の世界だと思っていたので、そうではない世界を見ることができたわけです。それに、色んな事情が生徒を色んな環境に置くけれど、それが良いとか悪いとかいうのは別問題であって、トータルで見ると誰も変わらないんだなと思い知らされました。だから、最初に勤めた高校の生徒には、今でもものすごく感謝しています。

理解のアウトプット

伊藤博美さん

教員をやっていて一番大きかったのは、自分で分かっているつもりの内容でも、アウトプットして生徒の心の中にストンと落ちて納得されないと、本当は自分でも理解できていないんだということがものすごくよく分かったということです。論理で分かっているつもりになるだけでなくて、内容を自分の内面で消化して了解できているかということですね。そうでないと、生徒の反応でもって「あ、自分は分かってないな」ということがフィードバックされるわけです。自分の理解の程度が確認できた、それが一番大きかったですね。そういう面で言うと、中途半端なことを喋られた生徒にとってはいい迷惑でしょうけど(笑)。

ただ自分が面白いと思ってその実感とともに語れないと、やっぱり面白さは伝わらないと思いますね。自分が面白いと思ってみたら、「こういうことを面白いと感じる人がいるんだな」ということを生徒の側が感じてくれるということです。いつも同じ教材で授業していても、切り口を変えないと自分でも面白くないし、一旦面白いと思えても同じことが次に面白いとは思えないので、もっと深く掘り下げていくと面白いと思えるようになる。そうなると面白いと思った内容が生徒に伝わって、フィードバックされていく。その繰り返しの中で、教材に対する自分の理解の程度も深まったし、それでもって自分が鍛えられた、訓練されたという感じがします。

良い授業ができたと思うときは、自分で考えて喋っていって、生徒との相互の反応の中で、「あっ、そういうことか」と自分が気づかなかったようなことに気づけたときなんです。だから授業中に私一人だけ笑ってて、それを生徒につっこまれて、「いやーありがとう、お陰で分かったよ、オレが」なんてね(笑)。そのときに共有できた感覚が生まれるので、生徒に感謝したい気持ちになります。実際、こういうときは生徒のほうも印象に残るみたいですよ。授業してて「先生が楽しそうだ」と言われるのが最高ですね。

そういったことも含めて、教員という仕事をしてみて悪戦苦闘する中で、自分の知らない側面が引き出されてきたことを実感できたのは良かったと思います。元々人前で喋るのは嫌だったし、そんなに子ども好きじゃなかったのに、実はそれなりにうまく人前で喋ったり子どもと接したりできるんだということは、勤めてみて初めて分かりました。


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