木原直哉さん

1.学生生活 | 2.プロポーカー選手としての生活


将来の仕事につながるものは、大学で思わぬ形で見つかるかもしれません。今回は、学生時代にポーカーと出会い、東大卒業後にプロポーカー選手となり、世界を舞台として活躍されている木原直哉さんに、学生時代の生活、ポーカープレイヤーとしての生活、この記事の読者の方へのメッセージなどを伺いました。

木原直哉さん

―なぜ東大進学を選んだのですか。

もともと、出身が北海道でした。北海道の高校生の多くは、最初は北大に行きたがるんですね。自分も例にもれず北大志望で、東大は全く考えたことがありませんでした。しかし、高2の時にたまたま模試の志望校記入欄に東京大学理科一類と書いたら、C判定と出て選択肢に入ったんです。実際に調べてみたら、入学後に進振りがあって、当時好きだった物理と数学のうちどちらを専攻するかを大学に入ってから選べるのでいいなと思いました。それに研究するのにいい環境だし、その頃は研究者になりたかったので東大を選びました。

―前期教養時代はどのような感じでしたか。

現役で合格する自信はあったんだけれど、一浪してしまいました。一回目の前期試験の時は38度か9度の熱で、後期試験の時は食中毒になって落ちてしまいました。病気を落ちた言い訳にするのは嫌だから、浪人してからは39度の熱があっても受かるだけの学力をつけようと思って勉強しました。浪人中から現役で入った友達に東大の書籍部に連れて行ってもらって教科書を買って、大学の勉強もしていました。

入学してからは、浪人中に結構予習していたので、授業に出なくても最初のうちはかなり内容を理解することができました。そうしたら次第に授業にあまり行かなくなって、予習していた範囲の授業が終わったら、突然点数が取れなくなりました。でも一度勉強しない習慣がついてしまったらなかなかそれを戻すのは大変で、それからもあまり勉強しませんでした。さらに、語学がすごく弱くて、記憶力が本当にダメでした。 語学は中国語と英語で、たぶん中国語で3年に上がれなくて留年したのだと思います。そうするともう一回2年生やり直しじゃないですか。でも単位はほとんど取り終わっているので、より暇になって、より学校に行かなくなるという悪いサイクルができてしまいました。結局3年に上がってからもあまり単位が取れず、そのまま2年間過ぎて、このままじゃ卒業なんか無理だと思って休学しました。

―後期の進学先はどのように決めたのですか。

高校の時は6割7割物理かなと思って、入った後もやっぱり物理だなと思っていたんですけれど、理学部物理学科って理一の花形なので、進振りに必要な点数が当時は85点と高かったんですよ。自分のような平均点が64とか65とかそんな学生には無理なんですよ。だからしょうがないということで、そういうことを言ったら悪いかもしれないけれど、点数が割と低かった地球惑星物理学科に進学しました。

―プロポーカー選手になろうと思ったのはなぜですか。

24歳の時に大学5年目が終わって、3、4年の単位はほとんど取らずにそのまま休学したんです。後期課程は4年以内に卒業しなければいけないんですけれど、そのまま出席してもあと2年間で単位を取れて卒業できるようなペースじゃなかったんですよ。だから、一旦そこで退学していいやぐらいのつもりで休学して、塾で働き始めました。塾で働き始めて2年目の時に、知り合いにポーカーを教えてもらって、それがなかなか面白かったんですよ。塾では大体夕方4時から夜の10時まで週5で働いていました。お昼の1時半に起きて、夜の12時に帰ってきて明け方5時ぐらいまで毎日ネットでポーカーやバックギャモンをやっていました。それが始まりで、その時はまだ全然稼げる感じではありませんでしたが、次第にそれなりに稼げるようになりました。次の年にラスベガスに行って、9日間で120万円ぐらい勝ったんです。それで、ポーカーいいなと思い始めました。

3年間休学して、26、7歳の時に復学しました。当然ですが、さすがに親から仕送り貰えません。そうしたら自分で生活費を稼ぎながら、復学することになるんで、塾の給料では足りないし、時間的にも無理なんですよね。ポーカーだったら、塾よりかなり時間の自由が効くんで、ポーカーで稼げるようになりお金と時間に自由がだいぶ利くようになって、じゃあ復学しようかなという気になったんですね。起業なり何かやりたいことが見つかったら退学してもいいやと思ったんですけれど、ポーカー以外に別に見つからなかったから、とりあえず卒業するか、みたいな軽いノリで卒業しようと思いました。3年間外部に出て、それなりに規則正しく生活していたんで、大学に戻ってからもちゃんと授業には行くようになりました。

―後期課程での学生生活はどのような感じでしたか。

文系の人はわからないかもしれませんが、理系のレポート課題は友達同士で相談し合う前提で出ます。自分は26、7歳で復学したので、周りに一緒にレポートをやる仲間がいなくて、全部一人でやらなければいけません。難易度も高くて大変でしたね。それなりに楽しかったけれど、結構単位ギリギリだったので、何度も何度もレポートを見直したし、卒業した直後ぐらいは、単位が足りなくてなぜか知らないけれど大学1年から受験し直さなきゃいけないという夢を見ることもありました。

地球惑星物理学科はほとんどみんな大学院に行くから卒論はないけれど卒業研究がありました。卒業研究の発表は学会のミニ版みたいな感じでした。先生が結構厳しくて、いろいろツッコミを入れてくるんですよ。あと先生は自分の専門でない分野では、半分プロであり半分素人なんですね。だから意外と学生の発表を興味を持って聞いて、本当にわからないと思って本当に質問してくることもありました。あれは面白い経験でしたね。


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