小池龍之介さん、松本圭介さん

1.2人の大学時代 | 2.今の学生に向けて


「個性」や「自己実現」という言葉が飛び交う、現代。ただでさえ不安定な存在である学生は、何に向かっていけばよいかますます分からなくなっている。今回は、僧侶として活躍されている小池龍之介さんと松本圭介さんに、ご自身の大学時代を振り返りながら、今の学生に向けてメッセージをいただいた。

2人の大学時代

小池さん×松本さん

(写真左・松本圭介さん) 東大を目指したきっかけは、一応日本で一番の大学ということと東京にあるということですかね。出身は北海道ですけど、ずっと北海道にいてもなっていう感じもあったし。あとはその当時哲学・思想の本を読んで興味を持ったので、東大には哲学の方面もあるということで東大にしました。

(写真右・小池龍之介さん) 私の場合は青少年の頃の青臭い衝動のようなものでして、太宰治に惹かれていた頃があったんですが、彼が東大の文学部仏文学科だったんですね。ちょうど文学部に太宰を研究している安藤宏先生という方がいたこともあり、まあ文学部に行こうかなと思って。そういう動機です。

(松本) でもその割にはドイツ語を選択したんだね。

(小池) そうですね(笑)。合格してすぐに東京に来て、駒場寮(編注:2001年まで駒場キャンパスに存在した学内寮。跡地には現在コミュニケーションプラザ等がある)という反体制学生みたいな人たちが牙城にしていた寮に入ったんですが、そこの反体制の雰囲気に非常に魅了されましてね。それでドイツ語をやってマルクスを学んで革命を起こそうと思い始めてしまって(笑)。太宰からはそのうち離れてしまったし、結局文学部にも進学しませんでした。

(松本) 僕は入る時に第二外国語を選ばなきゃいけないっていうのがいきなりあったんで、哲学だからドイツ語かなってなんとなく選んだら、たまたま小池くんと同じクラスになったということなんですよね。

(小池) というような具合ですね、東大に入った理由というのは。

(松本) そんなに大きな決心をしたっていうほどではないと思いますけども。

(小池) と申しますのは、たかだか高校生の時に大学を選択するというのは人生の一大決心という感じではないんですよね。なんとなくそうするといいかなと思っている程度だった気がします。初発の動機として持っていることをそのまま貫くわけでもないですし。私も結局のところは外れていきました。

学問よりも

小池さん

(小池) 入学当初はちょっと真面目に勉強していた頃がありましたね。そのうち私の場合は、駒場寮の活動と申しますか、政治的な活動や駒場寮を潰さないでほしいというアピール活動に参加することが多くなっていって、あんまり勉強はしなくなりましたね。

(松本) 僕は小池くんとは逆に体制的な政治の方を覗いていました。その辺の違いがたぶん今にも通じると思うんだけど。僕は大学で学ぶことをそのままその後の社会人生活に反映させなくてもいいと思っていたので、その時興味のある学問分野に進めばいいかなと。研究者になるとかはまったく考えてなかったので、それはそれとしてやがて卒業して就職しなきゃいけないからいろんな分野を見たいなと思って、IT系の企業でバイトしてみたり、友達とイベントをやってみたりしました。あとは最後に政治を見てみたいなと思って、衆議院議員の事務所でウェブの仕事をしてました。だからあんまり勉強は頑張ってなかったですね。研究したいというよりは本とかを読んで面白いなと思ってた程度だったんで、その興味はかえって学問的には膨らまなかったということです。だからどこの学部・学科に進学しようかっていうことはあるのかもしれないけれど、そのために頑張らなければっていうのはそんなになかったですね。

(小池) そういうのはなかったですね。私が進学先を選んだ理由は教授がちょっと関わっていて、自分の指導教官になってくださるはずだった方の人柄に惹かれたというのが大きかったですね。教官と相性がいいというのは進学先を選ぶ時にとても大きいような気がします。私は社会哲学のようなことを専攻領域にしたんですけど、正直言ってその先生からは哲学の方法論をたぶん何一つと言っていいほど学べませんでしたね(笑)。ただやりとりをしていてとても面白いなと思える方でした。どの学科に行こうかっていうのはいろいろ迷っていて、ただマルクスを学ぼうという方向性自体はほとんど変わっていなかったので、そういったことを学ぶのに駒場の文系の学問分野のなかでどこが適切かなっていうのをいくつか調べて回っていた時に、たまたまその学科の研究室に入ったらすごくアットホームな雰囲気で居心地がよくて、教授も言葉遣いみたいなのがすごく「ここに来たら楽しそうだな」って思わせるような感じでしたのでそこになったような、そんな具合でしたね。

(松本) 文学部の哲学専修ってあんまり点数が高くなかったような気がするんですよ。それにもともと大学に入る時点から哲学って思ってたんでそんなに考えることもなく。もはやどこでもよかったんじゃないですかね(笑)。どうせだったら少し興味のあるところがいいなぐらいの心境に来てたんだと思います。もうその頃には大学を出てからのことを考えてたのかもしれないですね。だからあんまり進学については意識してなかったような気がします。

(小池) 結局学問を学び始めた時点でちょっとがっかりしちゃうんですよね。これで何かが根本的に解決したり、すごいことができそうな感じはしないなっていうのを思ってしまうので、結局松本くんの場合は今おっしゃったような形で決めたでしょうし、私の場合も「ここは居心地がよさそうだな」というような理由で決めちゃうしというような感じですよね。マルクスを読み始める前はそれによって何かができるかもしれないみたいな青臭い心持ちがあるんですが、実際真剣に読み込み始めると「まあこんなもんか」っていうような感覚もありますしね。

(松本) お互い哲学・思想に関係するものだけど、もしかしたら特にそういうのはギャップが大きいのかもしれない。

(小池) 大きいですね。とりわけ自分で読んで考えることと教室で教えられていることの質のギャップがものすごく激しいですね。どんな高名な教授の授業を取ってみても概説的なことしか聴くことができませんから。特に哲学・思想系の学問ジャンルで採られている研究方法というのは、文献のここに何が書いてあってここはこういう意味だというような非常に細かなことを確定していきながら自分の言いたいことを辛うじてちょっと言う、そんな感じのものなんですが、ちょっと言うためにものすごく膨大な、よく言えば緻密な作業をしなければならなくて、その緻密さが膨大な労力を費やしてまで果たしてやる価値があるのかと思わされてしまう側面はある気がしますね。特に京大とかと比べると東大は“緻密さのための緻密さ”みたいな雰囲気になっているようなきらいもありますよね。本郷と駒場でまた若干温度差もあると思うんですが。

仏教で自己実現?

松本さん

(松本) 小池くんとは駒場で同じクラスだったけど、2人ともあんまりクラスに馴染んでなかったのかもしれないね。あともう1人いるんですけど、大体教室の後ろの方に3人くらいで固まって(笑)。ただ、その3人もいつも一緒にいる仲良しグループっていうわけではなくて、時々クラスに出て後ろの方に座ってると顔を合わせるっていう感じだったような気がします。

(小池) そういうわけですから、その頃はことさら親しいという雰囲気でもなかったと思いますね。それがある時期に哲学・思想のことでちょっと仲良くなったんですが、ただもう進学した後の話だったかもしれませんね。何で久しぶりに会ったのか忘れたけれど、確か一緒に古本屋を巡って本を買ったりして。

(松本) 駒場寮に遊びに行ったりね。とはいえ時々の付き合いぐらいで。でまあ、そもそも哲学に興味を持ったのは、祖父が地元でお寺をやっててお坊さんが身近だったからというのもあるのかもしれないですけど、気持ちのどこかにお坊さんをいつかやってみたいなというのがあって、本郷に進学してから印哲(編注:インド哲学仏教学専修課程)の授業とかも取ってみたりしました。さっき言った政治っていうのは国民を幸せにするというのがたぶん一つの重要な役割で、それってすごく大きな仕事であって面白いことだと思ってたから最後に見ておいたんですけど、幸せにするということそのものは政治の世界だけ見ててもなかなか見えてこないものでもあって。ふと自分のルーツのようなものを考えてみた時に、いろいろ見てきたけどやっぱり仏教の教えに何かがあるんじゃないかな、実践的な方法が見出せるんじゃないかなっていう思いがあったんですよね。就職も考えたんですけど、行き着くのはやっぱりお寺のこととか仏教のこととかを最終的にはやりたいなっていう気持ちで、そんな話を小池くんとしていたように思います。小池くんはお寺の長男だから多少の意識はあったかもしれないけど、当時は明確にお坊さんになるんだって思っていたのかな?

(小池) 確か私は当時、仏教や教団の仕組みがものすごく体制的になっていて、一般の人たちに届かない状態のままに旧弊なシステムが出来上がってしまっているので、自分はお坊さんとして活動していってそれを叩き壊すっていうことをよく言っていたと思いますね。そしてある種の宗教革命みたいなものを起こしたいと。もともと既成の仕組みを壊したいという志向が非常に強い人間だったものだからそのようなことを言って、またどういうふうに仏教を体現していって人に伝えたらいいかっていうことを常に言っていたような気もします。そういう意味ではお坊さんになるっていうことはかなり強く意識していたと思います。

(松本) ただ、普通にお寺の長男として後を継いでいわゆる体制のお坊さんになるっていう感じではなかったですよね。いわば小池くんは革命志向で、僕は体制側から物事を変えていくっていう志向があって。でもどっちにせよ何か変えようと思う気持ちはあって、そんなところで僕が刺激をもらうという意味もあって結構そんな話をする友達だったと思うんですね。

(小池) 語り合う多くの時間はたぶん現状の社会のいろんな問題点だとか、その当時私は既に得度をしてお坊さんの世界の内部もいろいろ見てきてうんざりするような側面もたくさんありましたので教団の問題点だとかについてよく話して、何か大きなことをやらなきゃいけないというようなことを話していたと思います。

(松本) たかだか20年の人生で何を見てきたかっていうと限られてるわけですけど、お互いにお寺はそれなりの近しさにあって、仏教が持ってる本来の射程距離の可能性も感じつつも、現状のお寺が抱えている問題っていうのを、自分の場合はお坊さんに属してなかったので外の立場から、小池くんの場合は少なくとも資格上は持っているというところから、変えなければいけないという共通の問題意識が生まれてたのかもしれないですね。
 そんな話をしているうちに、そんなに考えるんだったら自分もそっちの仕事に打ち込むかと。僕の場合はまず体制に入って中から変えるというやり方なので(笑)、まずはお坊さんにならないと話が始まらないよねっていうことでお坊さんになることにしました。

(小池) 私の場合、今はもうそういった問題関心はだいぶ失って問題意識がスライドしているんですが、当時は新興宗教にどう向き合えばよいかということが強い問題関心としてありました。伝統仏教が特に若い人に対するアピールを完全に失っている一方で、新興宗教は反対に勢力を伸ばしていて、伝統仏教の人たちは新興宗教のことをいろいろ口で批判をするんですけど、批判は立派ながらある意味では新興宗教の方が頑張ってるわけです。新興宗教が怪しい内容を持ってるにしてもある種の人の救いにはなっている反面で、伝統仏教はその救いの手すら差し伸べることができていないにもかかわらず何か偉そうなことだけ言っているという現状があって、当時の私から見ればどっちもどっちでしたね。ただ、新興宗教にさっと向かってしまうような人たちへのストッパーとして、伝統仏教の力をなんとか復活させたいという意識が強くありました。ですから仏教の形を変えていこうと思う際に当時一番頭の中に強くあったのが、教義を離れて人の話を聴いたり人に接したりする点をクローズアップしなきゃいけないという気持ちでしたね。

(松本) 新興宗教のことは結構話しましたね。ただその宗教に対して自分たちがどこに身を置くのかっていうのは、僕なんかはそれこそ最近やっとなんとなく分かってきたかなっていうぐらいで、当時は問題意識こそあれ自分自身がその中でどうしていけばいいのかっていうのはまだ全然分かっていませんでした。伝統仏教をなんとかしなきゃいけないという問題意識はありつつも、伝統仏教/新興宗教っていう括りにやっぱりなんとなく囚われてましたね。伝統仏教をなんとかするっていう発想か、あるいは全く別のものを新しく生み出していくっていう発想も一つの可能性としてはあったと思うんですけど、その時はそんなことはまだ整理ができてなかったと思いますね。

(小池) 基本的には既にあるものを軸にして問題を批判するような形でどうすればいいのかなっていうことを模索していたんですけれども、今になってみると割と何かしら自分の立っている場所みたいなのが見えてきたので、何か問題点を見つけて文句を言うような必要がなくなってきたところはありますね。伝統仏教にも新興宗教にも問題があるのは事実なんですが、それをことさら取り上げてみて何か言わなきゃいけないという雰囲気ではなくなったような気がします。というのは、自分の能力の点や環境や人との繋がりの点において社会によい影響を与えるであろうと思えることが今では自然にそれなりの形で備わっていて、ただそれをやっていれば結果としてかつて批判していたような問題が何かしらよい形に解決していくんではないかなっていうようなことは、ことさら考えなくてもなんとなく分かっているようなところはあって。結果的に当時考えていたような問題が解決されるような形で動いてはいるんでしょうけれど、今はもうこの問題を解決しなきゃというような力みがなくなっているような気がしますね。

(松本) そうですね、焦りとか力みとかそういうものがあったのかもしれませんね。

(小池) 何か大きなことをしなくちゃみたいなのはあったと思うんですよ。そこにあるのは実は本当に社会をよくしたい、世の中を幸福にしたいという気持ちというより、そういったことを大義名分にして自分自身の何か満たされない欲求みたいなものを爆発させて……。

(松本) 自己実現という。

(小池) そう。おそらく私たちは自分の能力を生かして自己実現しなきゃいけないんだというような社会の圧迫感の中に飲み込まれていて、しかもよりによってそれを仏教で実現しようとしていた自分があったような気がしますね。

(松本) 結構危ない人たちかもしれない(笑)。

(小池) そう、危ない人たちですね。すごく疲れるんですよ。そうやって何か大きなことをしなくちゃいけないとか、自分たちじゃなきゃできないようなことをしなくては生きてる意味がないとかいうメッセージに、知らず知らずのうちに乗せられていたんじゃないかなという気がしますね。

(松本) 確かに当時はそういう自己実現のために爆発させられる方向や可能性っていうのを探していたのかもしれないですね。ただ、これまた仏教のおかげで、当時は「仏教、仏教」と言いながらあまりそれが身にしみて分かってなかったんだけど、最近おかげでちょっと落ち着いて、問題点をいろいろと指摘するのではなくやっと自分のやるべきことが分かって、とりあえずただそれをやればいいんだという感じになれたかなって思うんですよね。


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