木村達哉さん

東大の英語の入試では約30分にも及ぶリスニングの設問がある。筆者が受験生のころ、このリスニング対策によいものはないかと本屋を覗いてみると、妙に派手な参考書が目に入った。『灘高キムタツの東大英語リスニング』。それは東大を目指す受験生のためだけに作られた英語の、そしてちょっぴり人生の参考書だった。

キムタツこと木村達哉さんは名門、灘高校の英語教師である。東大二次試験本番が行われているその時にお話を伺った。

ここぞという時にヒットを打つために。

受験生のみんなが今日のために長い間努力してきたわけやけれど、うちの生徒に限らずみんなが自分の力を発揮して欲しいと思ってる。受験っていうのは体調やメンタル面も含めて自分の持てる力を出し切った子が勝つ。いくら模試でA判定を取っていても模試は模試でしかない。運不運はあるだろうけど本番で力を発揮して欲しい。定員が決まった勝負をしてるんだから、もしそれで駄目だったらそれはもう仕方ない。

木村達哉さん

野球部の監督をやってていつも思うんやけど、能力が高くて3番4番に出してもいざって時になると打てない子がいる。すると結局その子は6番にされるわけや。逆に打率はそんなに高くなくてもここぞというときはデッドボールでも何でも塁に出る奴がいる。こういう奴は3番とかに置くことになる。われわれ人間はそういうのが大事なんや。ここ一番って時に力が発揮できないとなかなか成功できない。

大学受験はほとんど初めての自分の意志で人生をつくるための挑戦や。中学受験とかは親の意思のほうが強かったはず。この勝負で合格する力はあるのに発揮できないまま終わる子はかわいそうや。本当に全受験生が力を出し切って欲しい。

僕自身は受験は失敗するわ、人生を振り返ったときにこうしとくべきやったな、ということばかりや。小学校のころは剣道をやってて、師匠に「お前はめっちゃ筋がいいから中学行っても続けろ」って言われたんやけど、剣道は頭ボンボン叩かれるし嫌いでやめてしもてね。中学に入って野球したりテニスしたりしたけど結局どれも続かなかった。高校のころは学校の方針で部活動はしなかったしな。大学入ってからはバンドやってたけど今は単なるカラオケ親父になっただけや。結局、自分を極めてなかったからいろんな苦労をするわけやな。ここ一発のときに言うてもしょうがない文句を言うわけや。子供のころから30年ぐらいそういうのが続いた。

けれど、西大和学園に勤めて初めて自分には人に教えることが向いてるなぁと気づくわけや。そこから徐々に自分の人生をどうつくっていくかを真摯に考えたときに、何も続けてこなかったけれど、本が好きってことは続いてきたことに気づいた。受験でも本を書きたくて三田文学を学びたかったから慶応大学の文学部を目指してたし、自分の勝負は自分で本を書くことやって決めた。

『東大英語リスニング』は東大を目指す子にいいリスニング教材がないからずっと作りたいって思ってた。よく長文問題集のCD聞けとか言うけど、それって設問がないやん(笑)。けれど一般の学校の先生が本を出したいって言ってもそんなに都合よく出してくれる出版社はないし、東大受験生向けなんて購買層が小さすぎる。絶対出せるわけないとわかっていたけど西大和学園に勤めていたころからずっと書いてはゴミ箱を捨て書いては捨てを繰り返していた。これが自分の下積みやったんやな。

そしたら3年ほど前、本当に偶然アルク(編注:『東大英語リスニング』などの本を出している会社)の編集長と会う機会があったんや。アルクはリスニングが主な会社なんやけど、大学入試関連は出さない方針やった。そこを酒の力を借りて(笑)いろいろ話をしているうちに本を出そうって話に持ち込んだわけ。その人が会社に「東大受験生向けの本を作りたい人がいる」って話をしてくれたんやけど、やっぱり反対された。でもその編集長が「いっぺんうちの会社に来て説得しなよ」って言ってくれて、「僕は儲けたいんじゃなくて東大生向けの本が作りたい、特にリスニング本を作れる人はなかなかいないと思う」って説得したんや。そしたらとりあえず飲みに行こうって話になってわーわー言ってるうちに、作ってみたらいいよって話になった(笑)。僕のここ一番のホームランやな。

でもキムタツって言っても、確かに灘の生徒にはそう呼ばれてたけど世間には無名だから売れるか全然わからない。それに僕が実際にリスニング本を書けるのかも会社の人たちは知らないから、とりあえずセンターリスニングの本を書くことになった。これがそこそこ売れて、書けるってわかったから『東大英語リスニング』を書かせてもらえたんや。あの時の俺はすごかった。センター基礎編を6月で実践編を10月、そして東大リスニングを12月に出したんやもん。でもこれで東大目指す子は喜んでくれるやろうし、自分の社会的役割は終わったって思ってたんだけど、アルクさんが「社会的役割っていうのはもっと後にわかるもんじゃないか」って言ってくれて、リーディングやライティングの本も書くことになって今に至るんや。

今になって思えばこのままではあかんと思ってひたすら書いては捨てを繰り返した8,9年が大きかったと思う。今まで剣道も野球も何にも続けて来れなかったけど、本を出すっていう夢が叶うかどうかもわからないままそれでも書くことだけは続けられたんやな。そしてヒットを打てた。コラムとかも入れて東大に入って将来社会に役立ってくれるような子に使ってもらえるものを作れた。

多くの人が目先の利益や目先の目標を叶えようと一生懸命になってる。それも大切なことやけど、準備期間が短かったら大きな夢はかなわない。イチローだって 3歳からバットを振ってる。頭いい人なら気づいてるかもしれないけど、自分のブログでも「あきらめない姿勢が大事」ということを形を変えてひたすら攻めている。水戸黄門ブログやな、あれは。

東大生について思うこと

東大の子は文書作成能力とか事務処理能力とかrapidity(俊敏さ)で勝負するようなイメージが強かったけど最近はそれだけじゃなくてホリエモンみたいな人が増えてきたような気がする。東大っていう肩書きをうまくつかってビジネスをやる子も多い。いいのか悪いのか僕にはわからないけどそういう時代なのかもしれんな。残念なことに就職するときに予備校だとか受験関連に人生を捧げてしまう子が昔に比べて多すぎる気がする。せっかく東大という日本一の環境にいたのに、あまり社会に還元できない枝葉の部分に就職してしまう人が多いんやないかな。東大生って肩書きをつかってビジネスをするのはかまわないけどいつまでも東大生なわけじゃないから、長い目で見たらもっと他にやることがあるんじゃないかなと思う。昔は在学中に金を稼ぐのは、その金で世界を回ったり自分の見聞を広げたりするためやったのに、最近の子は稼ぐこと自体が目標になってる子が多い気がする。彼らはそれが目標じゃないって言うのかもしれないけど、卒業して東大生の肩書きが消えたあと、何が残ってるかが大切やからね。もっとこんなこともあんなこともやってた方がいいと思う。

木村達哉さん

自戒の念をこめて言うんやけど、大学生のときは浅く広く色んなことに手を出したほうがいい。深くするのは大人になってからできるし、大人になってから広く浅くじゃお話にならない。俺の友達に夏休みを使ってヨーロッパを一切の交通機関をつかわず巡ったり中国をひたすら歩き回ったりした奴がいたけど、考え方が大陸的っていうかせこくなくて同級生やけどすごい尊敬した。せっかく東大に入ったんなら大学時代にしか出来ないことをやって、東大に入るため使った努力を生かすような会社や組織に入ってより多くの人の役に立つって意識を持って欲しいな。

俺は沖縄かどこかにキムタツハウスってのをつくりたい。自分に関わった人たちが無料で自由に使えるようなところや。今までお世話になった人たちに恩返しできるような家。もちろん教え子にも使ってもらえるようなの。そういう社会的還元がしたい。そういうのを聞くとフラットな考えの人が「これだからお金儲けの~~」みたいなことを言うけど、それは違う。がんばったらそれだけご褒美があるべきや。今回エッセー本を出すけどその利益はユニセフに寄付する。原稿の元が半分以上ブログの記事で、それに関しては俺の頑張りっていうよりもむしろブログの読者からの要望でできた本やからね。でも自分の得意分野、英語に関する本ではお金をもらって、そして家は安いから社宅なんやけど(笑)、それでキムタツハウスを作るのが夢や。

近頃、格差社会ってよく聞くけど格差があるのは当たり前や。もちろん格差万歳とは言わないけどがんばった奴が報われないのは絶対におかしい。トップの奴らはもっと儲ければいいと思う。東大生もよく「学歴が重視されるのはおかしい」とか言われるけど、そんなことはない。頑張ってる子はその分評価されるべきや。その辺は世間の意識を変えなきゃあかんと思うな。ある分野で成功した奴はその中で一番努力したんや。そういうことにしないと可哀想や。最近は失敗したほうにいたわりの心を持ちすぎてると思うな。

最近東大ブームがあるけど東大のブランドが定着すればいいんやないかな。東大が日本一の大学なのは明らかなんやから。今のブームがどのくらい続くか知らんけれどそれこそ東大生が大事に守っていけばいいブームちゃうかなって思う。東大に入る意義なんて、俺は動機は不純なほうが長続きすると思ってるから「東大生です」って言えることが一番目やと思うよ。設備がいいとかっていうのは二番目でもいい。たとえ「どうせ東大生は~」なんて部外者が言ってもそんなんはヤッカミだから気にしなくていい。もちろん東大卒の人が今の東大生がどうとか言うのはいいけどな。ライオンはトラとは戦ってもいいけどアリと戦ったら自分の価値を落としてしまう。自分に苦言を言ってくる人が、ほんとに自分を思って言ってくれてるのか、それともただの僻みなのか見極めれるようにならないとあかん。

それで謙虚でいながらプライドと野心を持って生きて欲しい。プライドっていうのは恥ずかしいことをさせなくするから人を成長させるんや。それで日本の頂点に立って日本をひっぱっていって欲しいな。

受験生に向けて

僕自身は受験を割り切って、頑張らなかった。まぁ失敗したからこそ教師をやってるんやけどな。自分は予備校の私立文系コースに通っていて、浪人の夏の模試では慶応が全部A判定やった。三田文学勉強したくて慶応の文学部を目指してたけど、チューターにも絶対に受かるって言われて安心した。そして小説を書き始めたんや。それが早すぎた。もう合格した気になってたんやな。浪人中なのに小説書いて賞にも応募した。落ちたけどな。そして成績は下がっていって、でもA 判定を引きずっていたから入試には受かると思っていて、落ちた。今から思うと甘かったな、ほんまに。結局関学に入って今があるわけやけど。

「英語」の教師になったのは、得意科目の英語と古文のうち、英語の先生になるほうがもてそうやったから(笑)。教師になろうとしたのは中三のときの国語の先生の影響や。その人は僕の書く文章を見て「君の文章は躍ってる。登場人物が生き生きとしててお父さんやお母さんがこんな表情をしてるっていうのが手に取るようにわかる。いい文章を書く」って言ってくれた。いまだに覚えてる。それで「すごい気持ちいい仕事なんや教師って」って思ったのが決定的やった。だから僕は褒め芸の先生、一緒に居て気持ちのいい先生になろうと思った。怒るときは怒るけどな。僕の授業なんて漫談みたいなもんやから、体調が悪くてもあの先生の授業だけは受けようって子がだんだん増えてきて、そういうのは自分にとって気持ちいいしいい選択やったと思ってる。

よく「教師が生徒を東大に送り込んだ」って言うけどそれは嘘。生徒自身が頑張ったんや。教師はあくまでもサポート役。俺たち教師の仕事は3年なり6年なりの間にその子に影響を及ぼすことや。それでその子が社会に出たときに「あーあの時木村が言ってたのはこういうことか」ってなればいい。僕はその人間を形成するエレメントの一つになれればな。もちろん生徒に面と向かって「先生はあくまでサポート役」って言われたら怒るけどな(笑)。

もちろん教師や親、予備校の影響は大きいけど実際に頑張るのは受験生自身や。東大に通える家庭環境があるなら東大は目指すべきやと思う。本当に入りたいのなら自分が頑張って勉強するべき。自分なりに頑張るんじゃだめや。周りの平均値よりもうちょっと頑張ることが大事や。それで入学できたら、少なくともその時点ではすごい能力があるってことだから、誰にでも出来るわけじゃないようなことをやって欲しい。そういう風に生きていると背筋が伸びてくる。そして大きな社会的役割を果たして欲しいな。

プロフィール

木村達哉さん

1964年生まれ。関西学院大学文学部英文学科卒業後に西大和学園の英語科教諭となり、 1998年には灘高等学校英語科教諭に。 2005年の12月には今までありそうでなかった東京大学入試二次試験の英語リスニング対策書、『灘高キムタツの東大英語リスニング』を出し、好評を得る。現在はブログ『キムタツリスニング日記』で全国の受験生を日々励ましている。

キムタツリスニング日記 – スペースアルク