橘由里香さん

1.科学記者にあこがれて | 2.獣医とエンデュランス


今回は一度社会に出てから始めた馬術競技で輝かしい戦歴をあげ、東大農学部獣医学専修に学士入学で戻ってきた橘由里香さんに、これまで歩んできた道や今後の抱負について伺いました。

石が好きだった子ども時代

橘さん

子どもの頃は、石や宝石が大好きでした。石オタクみたいなものですね。綺麗な石があれば持って帰って、図鑑で調べるような小学生でしたから。近くの野良猫と遊んだりはしていましたが、家では動物を飼っていなかったので、子ども時代は動物とはあまり接点がありませんでした。

私は中学、高校と慶應義塾でした。高校時代に、自分は研究者になりたいのか、それとも研究を他の人に伝える科学記者になりたいのかで悩みました。そのときに進学先として考えたのが、地球物理でした。地球物理は気象から地震から何でも扱えるので、もしも将来マスコミ関係に行っても、自分が大学で学んだことを活かせると思いました。慶應義塾大学には地球物理系の学科がなかったので、東大に来ました。科類は理科二類でした。東大は進学振分けの制度があるので、入った段階ではまだいくらでも方向性が残されていますよね。理科二類からは生物系にも行けるし、工学系にも行ける。中には文系に進む人もいます。当時の制度でも、理科二類は進学できる幅が他の科類よりも広かったので、理科二類を選びました。大学に入ってから、もう一度自分の進みたい分野を考えたいと思ったのです。

マスコミを目指した大学生時代

地球惑星物理学科は理学部の物理系学科なので、理科一類からの方が沢山進学できました。理科二類からは4人しか進学できなかったので、いろいろと工夫して上手く進振りをしのぎました。

学生時代は「ミスポート」といって、港のイメージガールをやっていました。具体的には、外国の客船が入港するときに着物で花束を贈呈したり、式典のときの介添えをしたりしていました。任期中からその繋がりで、バスガイドならぬ船ガイドもやりました。当時は東京湾のベイエリアの開発が盛んだったので、外国の視察団や環境保護団体、国会議員の方たちを豪華船で案内し、施設や漁場について説明したりしていました。

私が在籍していた頃の地球惑星物理学科は、卒業研究や卒業論文がなく、実験も必修ではありませんでした。なので、その時間を利用してマスコミ予備校に通いました。当時のマスコミは中途採用枠や大学院生の枠がほとんどなかったので、まずは新卒で科学記者の道にチャレンジしようと思ったのです。予備校では論文試験や筆記試験の練習をしましたが、第一志望の会社では、たまたま私の科学記者志望とからめて書きやすいテーマが与えられ、字数制限の最後の一文字でピタリと終わりました。運もあるのでしょうね。

科学記者にあこがれて

橘さん

当時の就職活動の時期は、今とは少し違いました。私の頃は、ちょうど外資の投資銀行が日本に上陸し始めた時期でした。なので、3年生から外資系の会社のスプリングジョブ、今でいうインターンシップにあちこち応募していました。就職活動慣れするためです。当時は破格とも言えるアルバイト料が学生に出たし、待遇もとてもよいものでした。4年生の4月,5月からマスコミ系の会社の試験を受け始めて、7月に本命の新聞社の本試験があるといった流れでした。

先ほどもお話しましたが、私が理系の学問を修めてマスコミを志望したのは、科学記者になりたかったからです。きっかけは、中学生の時にアイザック・アシモフの科学エッセイを読んだことでした。私もこんな文章を書きたいな、と思ったのです。でも、いきなりフリーランスで書くわけにもいかないし、とりあえずはマスコミである程度記事を書き慣れて、様々な科学の分野に触れ、それから自分が書きたいものをやってみようと思っていました。言ってしまえば修行みたいなものです。同じ会社でずっとやっていく気はしなかったので、ある程度記事を書くことがものになってきたら、会社を離れて別の道を模索しようと思っていました。

新聞社という現実

私が入った新聞社は大企業でしたから、高学歴で自信たっぷりな人たちが沢山集まってきます。でも、多くの人が、入社後の現実に打ちのめされていました。「現実」というのは、つまるところ記者の仕事は、頭というよりは体力や日々の繰り返しがものをいうのだということです。それから、記者を志望する人には、オリジナリティーを最重要視してしまう人が多いのですが、大手マスコミで求められているのは、むしろ過去の書き方に習ってコンパクトに記事をまとめることだったりするので、がっかりしてしまう人が多かったようです。それに、入社してしばらくは地方局に回されるのですが、そこではひたすら地元紙や地方版を読み比べて「他社にこの記事書かれたから、こっちはあの催し物のこと書こう」みたいなことを延々とするのです。さらに、私は海の近くの支局に配属されたので、海難事故のときに「家族からコメントがとれるまで、夜中でも電話をかけ続けろ」と言われたのが辛かったし、疑問を持ちました。

こういった現実に打ちひしがれて、やめていってしまう人も沢山います。私の場合は2年目から「教育」や「大学」といった自分の興味がある分野を担当させてもらえたので、悩みつつも続けていました。

科学記者になるのが目標でしたが、最初はやりたいことなんてやらしてくれないものですよ。警察署回りをしたり、火事があったら夜中でも起きて写真を撮りに行ったり。面白かったのが、「救急車やパトカーのサイレンが聞こえたら、とりあえずついていけ」って教えられたことですね。事件の匂いを感じたら逃すな、ということでしょう。休みの日もあるようでなかったです。「おい、明日は休みだから午後からの出勤でいいぞ」って真顔で言われたときは、どうしようかと思いました。マスコミはやっぱり激職でしたね。

入社して3年目でしょうか。科学者の方々とお話しする機会が増えてきて、自分も何かちゃんとした専門を持ちたい、せめて一つでよいから、きちんとした研究をしてみたいと強く思うようになりました。科学者の仕事を追体験してこそ、自分なりに科学者に寄り添った記事が書けるのではないかと思ったのです。海外ではドクター、つまり博士号を持っている科学記者が多いのも理由の1つとしてあったのかもしれません。科学者には、「記者は研究を知らないから、重要なところを不正確な表現で書くのではないか」と不信感を抱く方も多いです。研究の背景知識や相手のリスペクトを得るためには、自分も何か専門を持ったほうがいいだろうと感じました。そういった経緯で、民間の鉱物研究機関で自分のやりたいことを見つけたあと、また東大大学院の地球惑星科学専攻に戻ってきました。そしてそのまま修士・博士と学位を取得しました。

大学院と研究

橘さん

大学院に戻ってきて最初に所属した研究室では、自分の希望とは違う研究テーマをすることになってしまいました。私は元々、宝石の色について研究したくてその研究室に入ったのですが、先生が動物の骨の鉱物学に興味を持たれ、修士2年のときにこれが研究テーマになりました。そんなこんなで、博士課程から研究室を変えました。博士課程では自分がやりたい研究に近いことができましたが、途中で指導教員が退職されたり、フリーで科学記事を書いているのを先生に嫌がられたりとハプニングはありました。でも、なんとか研究を引き継いで博士論文を出すことができました。私がやったのは、地中奥深くに眠っている宝石の素になるような鉱物に含まれる希ガスを調べて、マントルの進化を探るといった内容でした。ここから学んだ教訓は、「研究室選びは慎重に」ということでしょうか。やりたい研究というのは、やりたいと言い続けていれば、わりとどこででもできるものです。それよりも、先生や先輩との相性や、自分が研究一筋タイプなのかそうでないのか、研究室は自分のようなタイプを容認してくれるのか、といったことの方が重要だと思います。

このような大学院生活を送って、自分はずっと地球科学者でいることはないだろうと思いました。当時は東大の総合研究博物館に出入りをしていたのですが、ちょうど小柴昌俊先生がノーベル物理学賞を受賞された頃で、研究の傍ら、博物館での特別展示の手伝いをしたり、記者経験を買われて小柴先生にインタビューをしたり本を執筆したりしていたのです。こういう科学啓蒙活動は、研究に専念すべきだと理解を得られない場合が多いですし、自分がどちらに向いているのかと葛藤もありました。でもやはり私は、研究一筋というよりは、科学を媒介にして社会とつながりたい、世間に科学研究を伝える仕事がしたいのだなということを強く感じました。こうして自分の興味がはっきりしてきたとき、駒場の大学院で、科学者と世間とを結び付ける人材を育成しようという趣旨のプログラムが発足しました。知り合いの先生の勧めもあり、そこで助手をやらせてもらうことになりました。

そのプログラムは、東大の全学の大学院生を対象とするものだったので、科学記事を作る際に気をつけなければいけないことや、科学者ではない一般の人に科学のことを説明する際に必要な表現方法などを教えていました。研究というよりは実践的なプログラムだったので、実習形式で教えることが多かったです。

私はプログラムの立ち上げから関わっていたので、第一期生を受け入れるまでは、土日がなくなるくらい忙しい毎日でした。あまりの忙しさに体調を崩して病院にいったところ、お医者さんに「何かスポーツでもして気晴らしをしたほうがいいですよ」と勧められました。そのときにふと、中学校のときに入りたかった馬術部が頭をよぎったのです。クラブ活動で、私はどうしても馬術がやりたかったのですが、両親に強く反対されたのです。やっと自分でお金を稼ぐようになったし、もう文句は言われないだろう、今こそ馬をやる時かもしれないと思いました。大学に就職をして1年目のことでした。


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