楯裕紀さん

1.大検受験体験 | 2.東大受験~37歳東大生3.公認サポート・ドロップアウトという強みについて


楯裕紀さん(著書やウェブサイトでは「ひろじぃ」名義で活動)は中学校を卒業後高校を一日で中退して大検と鍼灸師の資格を取得しました。その後、紆余曲折を経て35歳のとき一念発起して東大を目指し、37歳で合格しました。そして2013年3月に教育学部身体運動コースをご卒業されました。卒業後は、ドロップアウトしたのちに高認からの復帰をめざす若者のサポート活動をしていきたいとおっしゃっています。これまでの楯さんの経験、東大での生活、将来についてお話を伺いました。


楯裕紀さん

楯さんが大検を受けることになった経緯を教えてください。

初めに大検を受けるようになった動機は、親への反発と、中学でちょっといじめられたからただ単に自分を知っている人がいる場所に行きたくなかったということですね。県立の中学校から公立の高校に進学すると、どこへ行ったとしても何人かクラスの人や自分を知っている人がいて、中学と同じ様に3年間過ごすのがすごく嫌で、だから初めから僕のことを知っている人が誰もいない所でやり直したいと思っていました。そんな時に、高校に行ってない子が大検を取って東大を目指すという話を映画で見ました。当時東大に行きたいとは思いませんでしたが、高校に行かなくても高校卒業と同じような資格があるということを知りました。中学校の先生に大検のことを言ったときには頭から否定されたし、当時は大検を知ってる人がほとんどいなかったのですが、よくわからないままとりあえず、現状から逃げるために大検を選びました。

通信制の高校といった選択肢は無かったのでしょうか。

それはなかったですね。当時は本当に、人間関係に自信が無かったのもあって。通信制高校のスクーリングすら当時は嫌だと思っていました。今考えると他人ともっと付き合うべきだったのですが、当時は自分でも今からは想像できないくらい繊細だったんです。

中学を卒業して、独学で学ぶのはとても大変だと思います。どのように勉強してたか教えてください。

最初は受験の仕方が分からないから、大検の予備校に入ろうとしたのですが、そこは計画倒産みたいなもので潰れてしまいました。別のところに入ったら、当時大検は11科目あったのですが、そこは1年目に全部受けさせないという方針で、「まだ君は若いから最初は8科目で、翌年3科目という形にしなさい」と言われました。だから当時の僕は、最初からその予備校が2年分お金をとろうとしているんだなと思って、もう予備校はあてにできないと思い、そこも辞めて図書館で勉強するようになりました。

当時それまで、まともに勉強をしたことがありませんでした。高校受験はほとんど内申書で決まっているじゃないですか。だから高校受験のための勉強をしたことがなくて初めて自分で勉強しようと思ったときに、やり方がよくわかりませんでした。でもこのまま大検に受からないと自分は中卒のままというのがすごく怖くて、それこそ仕事もないし行く場所もない。周りの同級生たちは普通に高校1年、2年になっていく中で、これさえ受かればっていう気持ちで、もうひたすら、効率とか全く考えず、今考えると頭おかしかったなと思うぐらい勉強しました。昼間図書館に行って勉強して、家に帰ってからは周りに画鋲を蒔いて、眠気をこらえて勉強していました。

今考えると大検は難しくない試験で、11科目という科目数の多さに余裕がなくて日本史とか世界史なんかは直前に歴史マンガを読んだだけで受けたんですけど、それでも受かってしまいました。後になって考えるとすごくへたくそな勉強のしかただったんですが中卒のままになってしまうという怖さを使って勉強したからそのあと、少しずつ勉強の仕方もうまくなっていったと思うので、あれはすごい貴重な体験でした。

大検の受験勉強で、独学のノウハウをある程度見つけたんですね。

そういう感じですね。一つ一つ自分で試して最終的に大検に受かったのでそれがわりと自信になったっていうところもありました。試験のレベルとしてはぜんぜん違うんですけど、僕がこの年齢になって東大を受けたのもあの時の経験から、なんとかやれるだろうっていう気持ちになれたためだと思います。

大検に合格されてからはどのような生活を送っていたのですか。

大検に合格しても、世間は何にも変わらなくて、全然居場所がなかったんです。そのとき、手に職を付けたいと思って鍼灸の専門学校に入学して資格をとりました。その後は、気功はずっとやっていたんですけど、適当にふらふらしていました。そのとき心理学に興味を持ちました。というのも、鍼とかお灸、気功を始めとした東洋医学全般がそうなんですけど、心理的な作用がすごく大きいなと思っていたからです。それで、大学に行って心理学の勉強をしようと思いました。勉強を始めたときに女の子と知り合って、その子が付き合っているような人が通っていた大学よりもいい大学に行けば見直してくれるかなっていうのがあって、それで慶應大学の文学部心理学科にしようと思って、独学で勉強して、合格しました。しかし、持病の腰痛や経済的な問題、そして東洋医学的な治療に関わる心理学が慶應大学では学べないと知り、1年で中退してしまいした。

楯さんのご著書の中に、当時作った独学サイトに中傷が書きこまれたこともきっかけというエピソードがありましたが。

大検や慶應大学を受験するにあたっては一応自分だけで勉強してたので、「予備校とかいらないじゃん。独学でもいいんじゃない?」という思いはすごくありました。金銭的な意味も含めてみんながみんな予備校に通えるわけではないし、いい進学校でいい授業を受けられる環境にいる人はもちろんいいんですけど、そうじゃないこともあるので。当時、まだ若かったというのもあって、予備校や塾はいらないみたいなことや勉強の仕方みたいなことをメールマガジンで偉そうに書いてたんですけど、そうしたらそのうちに「東大行ってないくせに勉強のことを書くな」というようなことをサイトに書かれるようになりました。

後になって考えてみると確かに東大はセンター試験が5教科7科目あって、受験科目が3科目、小論文を除けば2科目だった慶應のような私立とは全然一緒にはできないと思います。当時、最初のうちは、僕はみんなが東大にいく必要がない、慶應や早稲田で十分じゃないかみたいなことを言っていちいち反論していたんですけど、まあだんだんそれも疲れてきて、サイトを更新しなくなってしまいました。そういうのもあって今回の東大受験に関しては、今度何か、自分で意見を言うときにはそういうかたちでは文句言わせないようにきちんとしたいという思いがありました。それが27、8歳くらいの時です。

それから、東大目指そうと思うまでにブランクがあります。

そのあとは、株を始めて、それがわりとおもしろかったんですよ。当時の株のブームもあったと思うんですけど。お金稼ぐ方がおもしろいなと思って。株に集中して、少しお金が貯まって、33歳の時に、慶應受験の時に知り合った彼女と結婚しました。僕は大検合格を目指してしていたころから、社会不信というか、社会から疎外されたような感覚がありました。彼女もある程度の年齢になってから受験を考えるような子で、ちょっといろいろ事情があって、ある意味社会から疎外されてたんですけど、今度は自分たちで社会を自分たちの側から疎外と言うか遮断して2人だけで好きなことをやって過ごすことにしました。2年間くらい貯めたお金を使って働きもせず、毎日、近所のスーパーを4軒も5件も歩き回って食材買って半日かけてごはんを作ったり、ドラクエとかそういうテレビゲームを何日もやったりとかそういう生活をしてたんですけど、その時間の中でいろんなものと折り合いがついていったんです。


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