読んでない本の読書感想文を……

 今年、2013年は1960年代から70年代に歌人、詩人、作家、映画監督としてマルチに活躍した文化人である寺山修司の没後30年にあたります。関連書籍の出版やイベントなどがあったことをご存じな方も多いでしょう。私は高校生の頃、寺山のエッセイや詩・短歌などをよく読んでいました。小学校、中学校、高校の授業で強制的に暗記させられた以外で短歌や俳句を覚えたのは寺山の作品でした。最近は忙しさに寺山を読んでいた頃のことを忘れかけていましたが、先日、生前に寺山と親交のあった美輪明宏を題材にしたドキュメンタリー映画『美輪明宏ドキュメンタリー~黒蜥蜴を探して』の中で、寺山の作品が出てきたのを見たら著作などを読みなおしたくなりました。私の中で寺山ブームが再燃しそうです。

 寺山はアフォリズムも有名です。例えば高校生のときに出会った「どんな鳥だって想像力より高く飛ぶことはできないだろう」という言葉は私の心に今でも響きます。空間的にも時間的にも限られた存在である人間の持つ無限性を感じずにはいられません。寺山の珠玉の言葉の数々の中で私が最も好きなものは≪読んでいない本の読書感想文を書いてはいけない≫です。この言葉が載っている書籍は残念ながら手元にないので完全な引用ではなく私の記憶なのですが、高校生向けの雑誌の読者とのやり取りの中で出てきた言葉でした(やり取りをまとめた書籍を読んだのです)。

 もちろん言葉通りの意味であります。「読んでいない本の読書感想文を書いてはいけない」。例えば、あらすじをなんとなく知っているだけの本の書評をしてはいけないということです。拡大解釈するならば、知ったかぶりはいけませんということです。この言葉を知ってから、私はそのことを気をつけるようにしています(逆にいえば、一冊でも本を読んでいて、それについて熱く語ることはすばらしいことだと私は思います)。

 なぜ読んでいない本の読書感想文を書いてはいけないかということについて、寺山は言及していませんでしたが、それは自分の言葉では無く、借り物の言葉でしかないからではないかと思います。何の説得力も無いうわべだけの言葉。自分を賢く、強く見せたいと願ってだけの言葉。とりあえず、無難でこぎれいで、それゆえに読んだ者の時間は浪費するのに人生を1ミリも動かさない。逆に、読んでいない本の読書感想文を真に受けてしまったとき、人生と尊厳が損なわれ、うわべだけの人間になってしまったような気がする……。

 私の「想像力」は言葉の枠を超えて寺山のアフォリズムを解釈しはじめます。観てない映画、読んでない漫画、鑑賞していない絵画などについて知ったかぶっていけないのはもちろんのこと……

話をしたことも無い人の悪口を言っていなかったか?
漠然とあたりまえとして通っている「常識」を根拠に安易に何かを否定していたなかったか?
根拠のない適当な噂を真に受けていないか?
締め切りに間に合わせるために無難な言葉で薄っぺらなレポートを書いていなかったか?(ぎゃー!)
テレビに出ていないというだけである芸能人を「過去の人」にしてしまっていないか?
などなどなど……。

 30年前とは異なり、私たちは情報をいくらでもアウトプットできるようになりました。たとえ匿名であっても、仲間うち限定のものであったとしても、最終的にデータを消去したとしても、何か表現してしまったら、表現しなかった過去には戻れない。はたしてそれが読んでない本の感想文か読んだ本の感想文か。

 あなたは、どうですか? 読んでいない本の感想文を書いてはいませんか? 実際のところ、私はちょいちょいやっては自己嫌悪に陥りますが……。