キッチンの流しからの想像力

 キッチンの流しに何かを流すとき、その排水はどのように川へ帰っていくのでしょうか? 今までも考えるようにしていましたが、都市工学科での授業が始まってからさらに考えるようになりました。

 洗い物をしているときは、石油系の洗剤を使っているけれど川を汚さないかな、この鍋についていた油分は下水道管にたまらないかな、などと考え、汁物が残ったときは、微生物はこの残り汁の栄養分を分解しきれるかな…、紙や布に吸い込ませて捨てた方が水環境にはいいのだろうけれど、ゴミは増えるし、ゴミに含まれる水分が多いと燃焼に余計にエネルギーを使うと聞いたことがあるし、どうしたらいいんだろう……あっ、乾かす?! いや、どこで? においとスペースが問題だ……と考え込んでしまいます。
 
 残さない、食べきる、飲みきる、食べきれる量だけ用意するというのが基本なのですが、余ってしまった場合はどうすればいいのか難しいところです。使用後の油は、流すという選択肢はありえませんし、最近では自治体等で回収しているところも多くなってきました。しかし、鍋や煮物など残り汁は、昔は畑の肥料に帰っていく仕組みがあったのに、今では行き場をなくしてしまいました。

 現代の都市に生きる私たちは、便利に暮らしているつもりですが、この大量消費の生活は環境負荷が大きいだけでなく、どこかで私たちの心にも負荷がかかっているのではないでしょうか。汚れた水を流すとき、プラスチックを捨てるとき、大量のゴミを目の前にするとき、私たちは多少なりとも「これでいいのだろうか? 」という気持ちになっていると思うのです。せめてその感覚は忘れないでいたいものです。自分の行動が環境を壊さないサイクルの一部であるような生活は、もっと心地よいものだと思います。私たちが使う水も流す水もめぐっているのに、都市で暮らしているとそのめぐりが見えにくくなってしまいます。
 
 ちなみに私がこのようなめぐりに興味を持ったのは、今思えば東大の地理の過去問の窒素循環に関する問題がきっかけだったのかもしれません。文系で地歴2科目が受験に必要なことはめずらしく、負担は大きいですが、1科目だけを勉強するよりも視野が広がると思います。私は2科目勉強してよかったと思っています。

 それはともかく、飲み水の水質や食べ物の安全性は気にするのに、自分が生活していて排出するものには無頓着でいるなんて無責任だなと思うこのごろです。排出するものの行方を考える想像力
を、いつも働かせるようにしたいものです。