化学賞

これまでに7人の日本人がノーベル化学賞を受賞していますが、そのうち東大出身者は根岸英一のみです。

根岸英一

根岸は1935年、当時の満洲国新京(現在の長春)で生まれました。父は満鉄系の商社に勤めており、ハルビン、仁川、京城(現在のソウル)を転々とした少年時代でした。終戦後は東京・目黒に引き上げましたが、生活は困窮し、小学6年生のときに神奈川県大和市南林間に転居しました。

中学時代の成績は優秀で、神奈川県の名門・湘南高校に入学しようとしましたが、根岸は実は満洲時代、学業の才能を見込まれて1年早く小学校に入学していたため、14歳では入学できないと言われてしまいました。しかし中学校の先生が高校に説得に行き、何とか入学できました。

17歳で東大に入学しましたが、このときは年齢は全く問題になりませんでした。東大では、当初は工学部電気工学科への進学を考えていましたが、法学部から電機メーカーに就職した先輩から「給料が安い」という話を聞いて、新しい分野だった石油化学や化学繊維の道を目指して工学部応用化学科に進学しました。

しかし授業は朝8時からで、さらに南林間から本郷まで2時間近く(当時)かけて通い詰める生活に体が悲鳴を上げて入院し、試験を受けられなくなり、留年してしまいました。1年のずれがここでようやく無くなったとも言えます。

1958年に学部を卒業した根岸は、帝国人造絹絲(帝人)に入社しました。当時の帝人は留学を積極的に推奨しており、大学時代の勉強が不十分だと考えた根岸は、1960年フルブライト奨学金(※)に合格してペンシルベニア大学大学院に留学しました。

1963年に博士号を取得し、フルブライト奨学金の規定により帝人に復職しましたが、研究への道を諦めず、1966年に退職して再び渡米し、インディアナ州・パデュー大学のハーバート・ブラウン教授の下で博士研究員となり、1968年には助手となりました。ブラウン教授はホウ素を用いた有機合成反応の手法を開発し、1979年にノーベル化学賞を受賞した人物です。根岸も有機合成、とりわけ2つの有機化合物から1つの有機化合物を合成するクロスカップリング反応の研究に励みました。

根岸は1972年に独立し、ニューヨーク州・シラキュース大学の助教授となりました。根岸は、高効率なクロスカップリングの触媒を求めて、あらゆる元素を試しました。そしてたどり着いたのがパラジウムでした。根岸の発見により、パラジウムは触媒活性が高いだけでなく、生成物の純度も99%以上と非常に高いことが分かりました。発表は1976年です。この反応は根岸カップリングとして知られており、有機亜鉛化合物と有機ハロゲン化合物から合成するのが特徴です。

1976年に准教授に昇格し、1979年にはパデュー大学に教授として復帰しました。同年ブラウン氏のノーベル賞の授賞式に同行しています。1999年には恩師の名を冠したH・C・ブラウン特別教授に就任しました。

「有機合成におけるパラジウム触媒クロスカップリング」により2010年ノーベル化学賞を受賞し、同年日本政府からも文化勲章を受章しました。2014年には東京大学から名誉博士号を授与されています。


※フルブライト奨学金……米国のウィリアム・フルブライト上院議員の提唱により1946年創設された、米国と世界各国間の交換留学プログラム。日本人ノーベル賞受賞者では利根川進、小柴昌俊、下村脩も利用しました。詳細はhttp://www.fulbright.jp/scholarshipを参照。

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担当: , UTLife