平和賞

日本人でノーベル平和賞を受賞したのは佐藤栄作ただ1人です。

佐藤栄作

佐藤栄作は1924年に東京帝国大学法学部を卒業しました。卒業後は鉄道省(後の運輸省)の官僚になりました。戦時中に東京地下鉄道と東京高速鉄道の2社がそれぞれ運営していた地下鉄を統合し(とは言え当時は今の銀座線しかありませんでした)、帝都高速度交通営団(今の東京メトロ)を設立するにあたり重要な役割を果たしました。これがきっかけで左遷されてしまうのですが、左遷されたことで戦後の公職追放を免れました。

1948年、官僚のトップである運輸次官を辞め、国会議員ではなかったにも関わらず第二次吉田内閣で官房長官になりました。翌年に衆議院議員になり(当時49歳)、その後郵政大臣・建設大臣・国務大臣などを歴任しました。大蔵大臣を務めていたとき、佐藤栄作の発案により東海道新幹線の建設が実現したといわれています。世界銀行から融資を受ければ政府が新幹線を作る義務を負うので、建設計画は止められなくなるだろうと考えたのです。

1964年11月から7年8か月という長期にわたって総理大臣を務めました。14年間続いていた交渉をまとめ、1965年、日韓基本条約を締結して日韓国交正常化を果たしたほか、公害対策を始めました。しかしノーベル平和賞受賞につながったのは、国是とも言われた「非核三原則」と、1964年の自民党総裁選の時から掲げていた「沖縄返還」でしょう。

受賞理由

佐藤栄作首相は、1968年に「核兵器を持たない・作らない・持ち込ませない」の「非核三原則」を国会で発表しました。1970年には核兵器不拡散条約(核拡散防止条約)(NPT)にも署名しています(ただし批准は1976年)。

1967年ジョンソン大統領と小笠原諸島の返還について合意し、1968年に返還されました。1969年にはニクソン大統領との首脳会談で沖縄の本土返還も合意に至りました。こうして1972年、冷戦下で米軍の最前線の基地が置かれていた沖縄と小笠原諸島の返還が実現しました。沖縄が返還されると総理大臣の職を退き、政界から引退しました。

そして1974年、アイルランドの政治家・人権活動家ショーン・マクブライドと共にノーベル平和賞を受賞しました。核兵器を残さず沖縄返還が平和的に行われたことが評価されました。佐藤は受賞から半年後に74歳で亡くなりました。

批判

海外ではアメリカのベトナム戦争に荷担していた日本の総理大臣が平和賞を受賞することが批判されました。国内でも当時から受賞については疑問の声が上がっていました。1994年、沖縄返還時に有事の際の核兵器持ち込みに関する密約があったと分かりました。受賞理由の1つである「非核三原則」が守られたとはいえません。残念ながら当然の受賞だったとはいえないでしょう。

余談

  • 実の兄である岸信介も東京帝国大学法学部を卒業していて、総理大臣を務めたという共通点があります。また、岸もノーベル平和賞の候補者になったことがあります。
  • 佐藤栄作が総理大臣を務めていた時の東大はちょうど学生運動が盛んな頃でした。安田講堂事件が起こり、佐藤内閣が東大入試中止を指示しました。