文学部長インタビュー(高橋和久教授)

※現在、新たな学部長が就任されています。

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東大でも歴史が古く、数え切れないほどの文豪、評論家、歴史家、研究者を輩出してきた文学部。現在の学部長である高橋和久教授(英語英米文学、英文学専攻)に、現在の文学部の魅力について伺った。


―学部全体の目的は。

高橋文学部長

学部全体の目的があるとして、それを一言で申せば「人文学の基礎学を担う」ことです。人間存在の外側に向かう視線が理系の学問の基礎であるとすれば、文学部は人間の内部や人と人との関わりを研究している部局と位置づけることができます。とは言え、思想文化学科・歴史文化学科・言語文化学科・行動文化学科に分かれていて、一括りにすることはできないのですが。

私は語学・文学系の人間なので他の学科に関して詳しく述べられませんが、思想系はいわゆる「哲学」という言葉でイメージされるような教育・研究をしています。これはトートロジーみたいですね。抽象的に言えば理想と現実の距離を測ることでしょうか。死にゆく存在としての人間が生きていくことの本質の研究をしている。「人間とは何か」「いかに生きるべきか」といった問いかけを引き受ける学科です、などと口走った途端に相当に恥ずかしいですね。

結局のところ、あらゆる学問はその問いに答えるためにあるのかもしれませんから。例えば、歴史系だったら、「人間がどう生きるかを過去から学ぶ」のです。人間への関心という点では、行動系も同じではないでしょうか?社会学や心理学もつまるところ、人間が生きていく中で行われる精神の振る舞いはどういうメカニズムに従い、そこにどういう意味があるのか、という問いかけが出発点になっている。もっとも、人間と人間の営みを研究するところにあらゆる学問は帰着するわけでしょうから、文学部の場合、それが他の学部よりダイレクトな形で研究されているということになりますか。

逆に、と言ってしまいましょう、例えば工学系の学問は人間の生活に「役に立つ」とよく言われます。そこで学んだ技術を用いれば人間の暮らしを便利にする。目に見える形で役に立つと思われがちですよね。医学にしても本当は基礎医学と臨床系に分かれているのでしょうが、世間一般には命を救い身体の不具合を治してくれるお医者さんというイメージが強いのと同じです。「震度7に耐える建物をつくる」ことを目指す工学という比喩が可能なら、文学部の学問は「震度10に耐える心の構えをつくる」ことを目指しています、なんてきっと言いすぎでしょうね。

―言語・歴史・行動の各学科には触れていただきましたが、先生の領域である、言語文化学科の目的はどのようなものでしょうか。

ことばの普遍的な特性、個々の言語の特性を探求し、同時に、いわゆる「日本文学」から「西洋古典学」まで、さまざまの言語で書かれたテクストを分析します。わたしが多少とも見知っている文学研究の目的は、これも比喩的に言えば、「悪意を飼いならす」ことかもしれません。人は好悪の感情から自由になれませんが、小説を読むことで悪意がどのように処理されるか、されないかが少しわかる。そこで、自分の悪意が相対化できる。みんなが文学を読めば、暴力・犯罪が減るんじゃないか、といくらか本気で思います。爆発しそうな苛立ちが、暴力とは違う方向で解消される、或いは違う形かたちに変化すると思うのです。過不足ない悪口を見つけた時って気持ちが楽になるでしょう、あの感覚でしょうか。そんなことを言いながら自覚するのですが、文学部のどの学科も、「これをやっている!」ということを表現しにくいですね。いや、これは、わたしのことばが貧弱なせいですが。

―確かに少し日の当たらないイメージがある反面、文学部には何か底知れぬ魅力があると思います。

高橋文学部長

偉そうに「ありがとう」と申し上げます。中高の科目には文学部の専修課程名に直結しているものは少ないですよね。日本史などはありますが。一方で、理系の基礎となる数学・物理・生物は、高校で学んでいる。「国語」があるじゃないかと言われそうですが、あれは日本語の読解力や表現力を鍛えるものであって、「日本語学」や「日本文学」ではない。それなのに「底知れぬ魅力」を感じるとすると、逆に質問ですが、あなたはどうして文学部へ行こうと決めたのですか?

―「ジャングルの奥に進んでいくような、まだ見ぬ学問の世界に対するワクワクするような気持ち」があったからです。

なるほど。あなたの言う「ジャングルへ進みたい」と思う人に対しては、文学部の魅力を敢えて語る必要はなさそうですね。一方、幸いなことかもしれませんが、そんな感覚に捉えられるという経験をもたない人もきっといるでしょう。そうした人に文学部の魅力を語ることは難しい。社会のために役に立つ人間になりたいという思いとの関係で文学部を位置づけようという話向きになったら、わたしは途方に暮れてしまうことにしています。昔は文学部で受ける教育の延長上に、中学や高校の教師像が見えていた。実際、教壇に立った卒業生が多くて、その意味では、社会に役に立つ目に見える手段として文学部があった。今はそうした状況にない。

それなら何のために文学部に行き、そこで何をやるのか、という問いが生まれてしまう。生まれなければいいのにね。だって、何のためにやるのかを考えるのは難しいでしょう。目的は、ないからです。やりたいと思う気持ち、好きだから勉強をするのだと思います。思うに、人間はどれだけ進化しても、好き嫌いからは自由になれない。しかも、好き嫌いがない世界はつまらない、と私には思えてしまいます。文明が進歩しているほどには人間は進化していないのではないか。枕草子の「春はあけぼの」って、勝手ですよね。なぜ「いとおかし」なのか説明していないですもの。文学部の学問は少しそれに似ている。好きだから、やる。これは昔から変わらないですよ、きっと。

―裏を返せば、嫌いな人は文学部に来なくていいよ、ということになりますね。

そうです。あら、言っちゃった。でも、好き嫌いが変わることもあります。もしかすると一回社会にでて、「人間って面倒な存在だな」って思った人は文学部に魅力を感じるのではないか。それに、文学部の空気を吸うと、吸わないよりは、「豊かに死ねる」のかもしれません。何十年も企業で仕事をしてきて、退職して、死ぬ前に一度原語でシェイクスピアを読んでみたい、なんて思う人が結構いると聞きます。

―教育の特色は?

高橋文学部長

少人数の演習形式の授業が多いので、議論のできる環境があることでしょうか。知識の一方的な受け渡しに終わりがちな講義形式ではなく、お互い意見を交換し合うことによって理解、認識を深めていく。自分とは考えの違う人の、ものの見方、表現の仕方を直に見られることが特色です。

私の英文学の演習でも、それが見られます。ただし、英語は読めるようにしておかないといけないのですが。しっかり英語を読めることは議論以前の前提ですから。このように、基本的な文献、テクストを読む訓練は文学部に限らず必要な能力でしょう。その力を養成し、それを前提にした議論のできる環境が用意されていることが文学部教育の特色だと思います。そしてその先に卒業論文があります。自ら資料を収集し、思索を重ね、その結果を説得力ある形に纏め上げるという作業は苦行でもありますが、自己満足に堕さない力作を完成させたときの充実感は、ちょっと他では味わえないものでしょう。

―社会とのつながりは。

「応用倫理教育プログラム」は、文学部以外からも先生方をお招きし、文学部の学問が現実の社会と無縁ではないことを示す新たな試みの一つになっています。また、行動文化学科では産学連携など、企業との連携に関わっている先生もいらっしゃいます。全学で取り組んでいる社会性の高い「老年学」のプロジェクトにコミットしている先生もいらっしゃいますし、先述のCOEプログラム「死生学の構築」などにも積極的に取り組んでいます。この「死生学」で行うシンポジウムや講演会は、一般の方もたくさん参加されていて、学問研究と社会と接点についていろいろなことを教えてくれます。

―学生に対して求めることは?

三角関係を味わって欲しいです。基本的には「2」が嫌いだという私の嗜好のせいですが、例えば恋愛。幸せな恋愛だと、いけないんですよ(笑)なにか障害がないといけません。嫉妬という不自由だったりね。そういう負の状況なり感情があると、乗り越えなくてはならなくなる。それを味わって欲しいのです。「何で花子は俺じゃなくて太郎を選んだのだろうか?」なんて、納得もできなければ説明もつかない状況を味わって欲しいです。個人的な若さへの嫉妬もありますが、不幸を味わって欲しいです(笑)。こんな風に言うと傲慢かもしれませんが、人生そんなに上手くいくことばかりじゃないのですから、少しは不幸の免疫をつけておいたほうがいいとも思いますしね。いや、すでに十分不幸だ、と言われるかしら。

それから、今の学生は以前と比べるとあまり他の人と議論・会話をしなくなったような印象があります。言いすぎかもしれませんが、価値観を共有するインナーサークルで固まって、あんまり言葉をかわさなくても分かり合える集団だけで付き合っているような。異質な価値観を持った人と話す機会が減っているのではないか。もちろんそれは文学部だけに限らないですよね。もしかすると日本中がそうかもしれない。もっと異質な考えの人たちと議論をして欲しいですね。

―文学部の学生に対しては?

高橋文学部長

昔と比べ、電子辞書を使う人が増えていますよね。それはそれでいいのですが、実は人間の目ってよくモノを見ていて、紙媒体の辞書だと調べている語の説明の近くにある語義まで見渡せますよね。電子辞書は細切れに語義を解体して、説明しているように読めてしまう。例えばテクストを読むときに、辞書をいちいち引かなくてはなりませんが、単語の意味をつなぎ合わせただけでは、どういうわけか、単語と単語のつながりから生まれている文脈の意味まで理解できないことが多い。文脈を解釈していくには、ああでもない、こうでもないと単語同士の関係まで考えないといけない。先程の三角関係の話も同じですね。そうやって試行錯誤をする過程、答えがすぐに出ない状況を楽しむ余裕を持って欲しいと思います。でも、出せる答えを出し惜しみしてはいけませんよ。


ひじょうにユーモアのある方で、実は記事に掲載できないこともたくさんお話してくださいました。さすが文学部長、といったような威厳以上に、気さくさと安心感を覚えました。学部長のイメージと学部全体のイメージがひじょうに似ていると思います。学部選びにこのインタビューを参考にするのも良いかもしれません。

文学部ホームページ: http://www.l.u-tokyo.ac.jp/


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