文学部思想文化学科インド哲学・仏教学専修

文学部には古今東西の名を冠する、実に様々な文化それぞれに対して研究室が設けられている。

今回はその中から、文学部思想文化学科インド哲学・仏教学専修の下田正弘教授にお話を伺った。


1. 研究内容 | 2. 研究のかたち


―研究者の数はどのくらいなのですか。

東大は研究所なども併せて5人です。ちなみにアメリカの仏教の研究者は、ハーバード大学は9人、コロンビア大学は11人、ミシガン大学は6人、UCLA(編註:カリフォルニア大学ロサンゼルス校)は6人といった具合に、主要な多くの大学に、東大をしのぐ数の研究者をそろえています。本来、日本が仏教研究をリードすることが、世界からも国内からも期待されているのですが、厳しい状況です。

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―研究していて楽しいことは何ですか?

世界の研究者と問題意識が直結していくことですね。これはすごくうれしいことです。最初は、海外の研究者の友人など当然ゼロです。ところが、研究というのは不思議なもので、自分だけが夢中でやっていると思っても、ふと気づくと、海の向こうの、見ず知らずの人が同じ問題意識をもって進めているものです。いまではどんどん増えて、お付き合いするのが大変になってきました(笑)。

大学に入ってきたときには、カリキュラムとして与えられているものしかありませんから、自分が何をやっているのか、全体での位置づけ、意義がさっぱり分からないですね。そこにもどかしさや、つまらなさがありますよね。でも、しばらくそこに向き合って、基礎体力をつけ、それからその地をずっと堀り下げていくと、何か地下水のような層に至り着き、海の向こうの相手と通じるものが出てくるんですね。

―先生のお話を伺っていると、他の学部に比べて、協力して研究分野を発展させていくという面が強いように思えますが。

それはその通りでしょうね。景色がよくみえるので友人が出来やすい。それだけ規模が小さいということはあるでしょう。しかし、協力して分野を切り開くことと、ライバル関係にあることとは、両立しないことではないのです。僕のプロジェクトは、ずっと台湾と競合関係にあって、そことはときに熾烈なやり取りをしました。でもそれと友人であることは両立します。

僕の経験ですが、競争っていうのは、上手くやっていかないとその分野が疲弊してしまいかねません。足の引っ張り合いみたいになると、分野全体が弱くなってしまう。逆にいい競争をすると、分野全体が活性化されて、全体として伸びていく。それは強く感じました。

でも、弱い人間ですから、本当に苦しくなると「ちょっと足引っ張ってやりたい」って思うこともあります(笑)。でもそれをすると、自分がみじめになる。小さな「プロジェクトX」みたいなもので、さっき言ったプロジェクトというのは、大蔵経のデータベース化の事業なのですが、台湾のライバルのグループが資金力とマンパワーにものを言わせて先に仕上げ、ほとんど世界のデファクト(標準規格)になろうとしていました。そのとき、とあることで、相手が大きな窮地に立たされる場面がありました。そのとき、彼らを助けられるのは、僕たちしかいませんでした。そこで僕たちは敵に塩を送ることを決めました。そのために、そのあとしばらくは自分のほうが極めて厳しい状況に追い詰められることになったのですが、でもまっとうな判断ができてよかったと、心から思っています。

―ここまで案内していただいた事務の方に、先生が何か凄い賞を受賞されたと伺ったのですが。

いや、恐縮です。でもとても恥ずかしいので、文学部のホームページをご覧いただくこととして、ここではお話を省略させていただきます。

―就職の状況はどうなのですか?

誤解されているんだけれども、イン哲はいいですよ。僕が教員としてこちらに来てから、学生たちは、JR東日本とか日本テレビに行きました。「へえ、そんなとこにも行くんだ」って思いましたね。教育関係、都庁、教師など、安定した職が多いです。信州テレビに行った人もいました。就職活動の時は、面接で「文学部なんか行って何するつもりだったの。就職できると思ってるの」ぐらいの嫌味を言われることはあるようですね。それは面接官のパフォーマンスでしょう。

文学部の就職の状況も同じかそれ以上にすごくいいですよ。本当にここは誤解があります。大手もちゃんと押さえてますし。だから教務課の人から聞いたんだけど、ガイダンスのときも就職先一覧を必ず配るようにしてるそうです。HPにも載っていますし(http://www.l.u-tokyo.ac.jp/applicant/highschool/1550.html)、安心して文学部に来てくださいと言いたいところですね。

―文学部の中のインド哲学・仏教学研究室はどのようなものでしょうか。

今まで話してきたこのインド哲学・仏教学の研究室は、もとより文学部の中の研究の一角でしかありません。それぞれの研究室では、それぞれの歴史的課題を抱えて、大切に教育・研究を進めてきています。そのそれぞれの課題は、同時にそのまま世界に通じるレベルのものばかりです。文学部っていうのはすごいところで、30近い研究室があるんですけど、それぞれの分野で固有の歴史を、本当に大切にし続けてきているのです。それはいずれも、日本という場所で、世界の学問・歴史を引き受けていく方法なのですね。たとえば英文学なら、イギリス人がイギリスでやる英文学と、日本人がこの日本という場所でやっていく英文学とには、重要な意味の違いがあります。日本固有の意味がでてくるのです。しかし同時にイギリス人と競争もしていかなきゃいけない。そういう大変なところに身をさらしつつ、日本の抱えている日本の文化という、いわば1つの身体を手放さないようにしつつ、研究を進めなければなりません。

30もの研究室、外から見ると本当にただ細かくて、どう入っていいか、どう出ていったらいいか分からないように思えるでしょう。入っていったら出られないんじゃないかって、みんなそう思うんでしょう(笑)。でも、出る必要なんてなくて、どんどん入っていけばいいだけなんです。抜ける必要などないところまで入っていったらしめたもので、人生の奥義というと偉そうですけど、その向こうには、山を登られなければ決して見えない景色が広がっています。

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―最後に一言お願いします。

一度東大生であったなら、たとえ卒業しても、東大生であり続けると考えていいと思うんです。東大生であったことを、生涯の権利を得たと思って、最大限使っていくことだと思います。肩書きとして使うなんていうのは、一番下手な使い方で、なにより人を使うことですね。使うといえば表現が悪いけれども、研究室の先生たちとか先輩とか全部含めて、さまざまな人と出会って、その関係を先まで大切にしていくことです。仲間こそ財産ですから。たとえ大学を離れていくことがあっても、大学や研究室って、変わらずにいてくれると思います。だからまたそこに戻ってきて、ときに深呼吸をしてみるというのも、ありだと思います。是非、東大を生涯自分の場として使っていってほしい、それを最後のメッセージにします。


インド哲学仏教学研究室ホームページ: http://www.l.u-tokyo.ac.jp/intetsu/


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