政治Ⅰ

文科生の選択必修(準必修)となっている基礎科目「社会科学」の1つであり、1学期に開講される「政治Ⅰ」。これが入学後に初めて受講する政治の講義だという東大生も多いでしょう。その「政治Ⅰ」の中でも、法や政治を後期課程で学ぶ人が多い文科一類の生徒を対象として政治理論に関する講義を行う高橋直樹教授に、講義の概要と工夫、学生に対する思いについてお話を伺いました。


講義で扱うテーマ

―比較政治や行政学など、政治に対してさまざまなアプローチの仕方があると思いますが、その中でもなぜ政治理論を講義で扱うのですか。

多分大抵の1、2年生の授業というのは、知識を教えるのが中心で、例えば、圧力集団というのは重要ですとか、「政党」というのはこのような働きをして重要ですとか言います。けれども、やっぱり長持ちする知識なんてそうないわけですよ。10年前には常識だったことが現実とは合わなくなっているということはあります。するとそれよりも、1番目に、その現実を単純化してどう理論を作っているか、2番目に、この理論にはどういうバイアスとかどういう特徴が隠されているか、それを知っていたほうが現実の政治がわかりやすいと思います。曖昧な日常の言説を見通すような眼が、理論を分析することによって得られると思っています。ですから1年生が多い授業なのだけれど、あえて理論を扱います。

すべての理論はモデルであって、モデルというのは現実を写す鏡だけど、この鏡が真実を写しているわけではありません。つまり、理論を作るためのモデル化というプロセスでは、いろいろな意味でバイアスがかかってきているものです。

ディスクール(言説)はいろいろあって、たとえば新聞記者や政治評論家の書いているディスクールというものは、それ自体が曖昧だから像がゆがんでいます。どのようにゆがんでいるかが明瞭には見えないわけですよ。それに対して理論というものには、より厳密な言葉で語られて、厳密に論理的に作られているからこそ、ゆがみ方がはっきり表れます。だから、理論の話を聞いた後では少し違った考え方ができるようになるはずです。

講義の工夫

―授業中の工夫について教えてください。

工夫は、冗談なども入れながら、なるべくくだけてわかりやすくすることです。あまり固い話ばかりしているとみんなが飽きてしまうから、実例を出すときでも、日常問題の話をして、工夫しています。私の指導教官の先生は、初めて会ったのは私が2年生のときですが、「いくら東大生でも90分は集中力がもたない」から、真ん中あたりで雑談を入れて息抜きをすると語りました。それは私も必要だと思います。それから、作ったレジュメ(というよりは、板書のかわりですが)をCFIVE(註:学生が講義を受けるときに使う、講義教材やレポートフォームなどがまとまったwebデータベース)にアップロードして、学生に自分で印刷させて、話を進めています。話の流れがわからないと困るわけですので、3ケタの数字で体系を示しています。項目や用語などは以前から黒板に書いていました。去年からですか、CFIVEを使うようになってから私は楽になりましたね。学生さんは大変で、スピードが3割ぐらい上がってしまったので、昔よりはるかに詰め込んでいますね。(註:3ケタの数字は、百の位が理論の分類、十の位が理論、一の位が理論の説明に必要な事項を示している)

―各理論を話して説明する際の工夫を、特に詳しく伺いたいです。

具体例を多くします。それから、たとえばこんな話ですよとか、感覚的に理解できるようにアナロジーを多くします。ある有名な民法学者の本はどうしてよいかというと、アナロジーがすごく的確でわかりやすいからだ、というのをどこかで読みました。それで、アナロジーを多用するようにしました。ただあれは良い面も悪い面もあるので、それだけでとらえられてしまうと少し困ります。元の話があってアナロジーがあるので、アナロジーが本筋ではありません。参考にするためにアナロジーを出しているにすぎないんです。

口頭説明は、人によって違いますけれども、私としては1つの言葉遣いで1つの説明というのではなくて、なるべくバラエティを持たせて表現する努力をしています。あなた方としては全部をノートにとる必要はないので、2つか3つのうち自分のわかったものだけ1つ書けばいいです。

大学の教師の中には、予め決めておいた内容を、あまりさまざまな表現を使わないでゆっくりとしゃべる人もいるわけです。たとえば私が受けたある授業も、東大の法学部の先生でしたけれども、授業をやるときには全部原稿用紙にその日の授業の下書きをして、それをまた再度書き直して、表現をきっちりして話すものでした。しかし僕はもう少しラフで、だいたい自分で授業中に参照している講義ノートのほうも基本的にはメモなのですよ。それから、同じ内容でも時に応じていろいろな表現で話すわけです。

―レジュメも講義の順番を毎年少しずつ変えたりするとおっしゃっていましたが、その時はどのようなことに注意しているのですか。

もともとこの授業は4単位だったのです。しかし、基本的に駒場は、10年くらい前からすべて2単位分割してしまいました。それで講義ノートが余ってしまい全部できないわけです。私の場合は全体の構成があって、それぞれの部分があるから、2単位分割されたからといってある内容を薄めて半分しゃべるというわけにはいかないのです。2単位だからといって内容を省くと体系が崩れてしまうのです。だから年によって説明する内容を変えていまして、今年はリーダーシップ論を省いたのです。去年は安倍首相がらみで、リーダーシップ論をぜひ話したかったので入れましたけれど。

学生や政治に対する思い

―1、2年生を見てどう思われますか。

私はやっぱり一番重要なのは自分の頭で考えることだろうと思っているのです。世の中のほとんどの人が借り物の意見とか借り物の判断を、あたかも自分のもののように言っているわけですよね。借り物の意見とか借り物の判断というものは、新聞だけでなくて、テレビ、ワイドショーからニュースまで、あふれています。しかしやはり大学で学んだからには、もう少し違う、自分の頭で考えるような、物事を分析的にとらえていく、裏を見通すような考え方が、できるような人になってほしいと思っています。こんなことを言うなんて、私も年を取って老人になったのですね、毎年毎年学生がものを考えなくなって、受験技術だけで入ってきているような気がしますね。残念なことです。

―学生がものを考えないということは、どのあたりから感じられますか。

試験の答案もそうだし、基礎演習がかなりひどいです。もちろん、全部ではありませんが。

かわいそうです、学生さんも。今の学生さんは受験勉強で一生懸命で、じっくりとものを考えたことがないのだろう、と思います。でも本当は、青春っていうのは違うものですよ! じっくりとものを考える時代なのです。目の前に受験というニンジンをぶら下げられて、一生懸命それに向かって走っているような青春を送ってきたから、大学に入った途端に頭が空っぽになってしまうのです。よくないと思います。できれば、駒場の1、2年の間に、専門の学部に進学する前に、新しい古典とよばれる本を読んでほしいです。本を読むということは、ほとんどの人が間違っています。本を読むということはそれを読んで、覚えるとか、知識を得ること、だけじゃないのです。本当にいい本というものは、本と対話ができます。あぁこう考えているのだ、でも少し違うのではないか、でもこの人は説得力があるなぁ、というように。それで私の授業ではまったく政治学とは関係ありませんが、夏休みに入る最後の授業で、新しい名著といわれるものでぜひとも個人的に薦めたい本5つとか、推薦しています。

―東大で政治学を教える立場として、日本の政治についてどう思われますか。

政治学を教えている辛さは、日本の政治が全然よくならないことです。何のために政治学をやってきたのだろうと思います。そのぐらい絶望感が強いですね。細川政権で絶望して、前の民主党政権で裏切られて、どこの国の政治もそんなに理想的な政治というものはないのですが、日本の場合には何かつまらないことで争って、方向性が見えてこないし、誰も責任を取らないですからね。

戦後の日本の政治って、特に私が高校生、大学生くらいの頃は、自民党の単独長期政権だったわけですよ。それが今度は、首相が1年で3人いるなど、不安定でコロコロ変わる政治の代表格になってしまった気がします。どちらでも不毛です。別に私は二大政党論者ではないので、政権交代が定期的に起こればいいと考えているわけではないけれども、今考えてみて、自民党が相変わらず古いでしょ。野党も有効な対抗策ないわけじゃないですか。絶望します。どうしてこんなに日本の政治は不毛なのでしょうか。

―政治家を目指す人に求められるものを含め、政治家志望の1、2年生にメッセージをお願いします。

私が一番言いたいのは、若い人たちにとても申し訳ないと思っている、ということです。演歌じゃないけど、こんな日本に誰がしたという感じで、こういう日本をあなたがたに残すということは本当に申し訳ない、そう思っています。でも私なんかどうせ死んでいくのだから、あなたがたにこの日本を引き受けてもらわなければいけません。その時にはやはり、日本をもっと、住んでいる人にとって気持ちのよく、幸せな、温かい国にしてもらいたいですね。やはりホームレスの人があまりいない国、生活保護の不正受給のない国、そういう感じに日本を良くしてもらいたいと思います。特に文一の学生さんに対しては、少なくとも文科系では一番トップのところの人たちなのですから、エリートの誇りをもってほしいです。エリートの誇りをもつということは、鼻高々で俺は偉いんだぞと言って歩くことではなくて、むしろ、貧しい人々や恵まれない人々などに目を向けることです。エリートがエリートであるためにはやはりそういう、負けた人とか、それから社会の底辺にいる人たちへのまなざしがないといけません。

ルールすれすれのことをやって、自分の金儲けができればいいと考える人はエリートでも何でもありません。でもそういう人たちがだんだん多くなっているような気がします。

今世間でエリートたたきとか、いわゆるキャリア公務員たたきとか、言われています。だんだん公務員も人気がなくなっていますしね。
それでも、東大法学部っていうのは戦前から、やはりいい意味でも悪い意味でも日本を背負ってきたのですよ。その誇りをもう一度思い出してほしい、そう思っています。

―ありがとうございました。