ロシア語

ロシアの経済的隆盛を背景に、最近ますます影響力を増してきたロシア語。今回は、「ロシア語」の授業を担当されている浦雅春 教授に、ロシア語を学んだ経緯や特徴、授業をする際に心がけていることなどについてお話を伺った。


1.ロシア語について | 2.授業について


ロシア語との出会い

浦雅春教授

僕は高校の頃はフランス文学をやりたいと思っていました。僕は大阪にずっと住んでいたんですが、その頃は京都大学のフランス文学が力を持っていたんです。桑原武夫さんとかこの間亡くなった多田道太郎さんとか、そういった京都大学人文科学研究所の人を始め、フランス文学の人がなんか面白そうなことをやっていました。それこそ、当時の東大と比べたって、京大のほうが面白そうだった。そんなこともあって、漠然と京大のフランス文学に行きたいなと思っていたんです。

だけど、簡単な話大学に落ちたわけです。僕が大学受験生の頃、つまり1966年ごろは一期校と二期校というのがあったんですよ。一期校は国立の主だった大学で、今で言う前期試験です。それ以外は二期校と呼ばれ、後期試験でした。僕は一期校で京大受けたんだけど、まあ、自分でも通るとは思わなかった。しかし、親の手前一つはどこかしら受からなくてはならない。ちょうどそのころ友達から「神戸市外国語大学のロシア学科が受かりやすい」って噂を聞いたものですから、二期校は神戸市外国語大学のロシア学科を受けました。当時はロシア語なんて全然興味も関心もなかったんです。結局、京大には落ち、受かったのは神戸市外国語大学だけだったのです。考えた末、浪人せずに神戸市外国語大学のロシア学科に進学することにしました。

もともとロシア語なんてやる気がなかったから、実際大学に行っても面白くない。ロシア語の授業にも特に関心があるわけではなくて、4年間ダラダラと大学生活を送りました。そこそこ勉強はしましたけどね。留年はしないけど、自分から進んでは勉強しないというような、教師の目から見たらとても嫌な学生でした。

ロシア語を研究しようと考えたわけ

でも、大学を出てからロシア語を勉強しようとしたときには、明確な理由がありました。

僕はどうやら不遜な人間らしくて、教師から大学に残るよう誘われたら、大学院に進んでもいいかなと思っていました。いい加減なんですね。自分の性格を考えると、普通の就職をしてそのまま勤まるかなという不安もありました。具体的な研究者のイメージを描いていたわけではないんですが、大学に残ることでモラトリアムを延長できるだろう、社会に出るのを先送りできるだろうと思ったんです。しかし、先ほども言ったように、やる気のない学生でしたから、もちろん教師から大学に残れと声がかかるはずもないわけです。

それで仕方なく、働く道を選ぶことになりました。もともと本は好きでした。ジャンルを問わずいろいろ読んでいたので、いくつか出版社に当たってみました。でも、採用してくれるところはありませんでしたね。そのとき同じクラスでロシア語をやっていた学生がある小さな広告会社に内定していまして、そこでロシア語を必要とする仕事があるということを聞きました。そこでもいいかと思って、その会社に就職することになりました。東京の小さな広告会社でした。

その会社ではロシア語の雑誌の製作をしていて、入社してしばらくは、雑誌の記事の校正をしていましたね。その頃からのことです、自分でロシア語の本を買って、四畳半の部屋でこつこつと読むようになったのは。本気でロシア語に関わろうとしたのは、この通り大学を卒業して社会に出てからのことでした。

四畳半の部屋で読み始めた話はチェーホフでした。チェーホフの『三人姉妹』という戯曲を読んだときのことをお話しします。『三人姉妹』というのは、 19世紀末のロシアの没落しつつある貴族、その三人の姉妹と一人の男兄弟の話です。一番下の娘がイリーナというのですが、劇中でこんなことを言い出します。「私たちは、寝て起きてお茶を飲んでといったぐうたらな生活を送っているけれど、それでは駄目だ。自分たちもお百姓さんと同じように、額に汗をかいて働かなくてはならない。他人の労働に支えられて生きているのはおかしい」。そしてイリーナは今でいう郵便局に就職するわけです。彼女は仕事を通じて何か新しい世界が開けてくるだろう、もっと充実した生活に触れることができるにちがいないと思っていました。しかし、実際働いてみても、生き生きしたものは何もない。ぎすぎすした潤いのない生活です。そうこうするうちに、彼女の中の意気込み、やる気が萎えていく。そして劇中で彼女はこんなことを言うのです。「労働の中にもポエジー(詩的なもの)がなくてはいけない」。この言葉に僕は脳天をぶちのめされた。それは常日ごろ僕が感じていたことにほかならなかったのです。「そうだよな、労働にポエジーがなければダメだよな」と僕はすっかり感化されて、広告会社をあっさり半年で辞めました。そして、僕はこの『三人姉妹』を書いたチェーホフという作家に興味を持ち、この作家を研究してみようという気になってきました。翌年早稲田大学の露文科大学院に入りました。こんな風にロシア語に対するモチベーションは、大学にいた頃と少しずつですが変わってきました。

先ほどの話に戻りますが、人間というものは働かなくてはなりません。でも、その働くことに喜びを見出せないとしたら、これほど不幸なことはない。他人から尊敬される仕事がある一方で、さげすまれる仕事がある。仕事をしている当の本人がその仕事に誇りを持てないことがある。僕はそれを不幸だと思うし、不当だと考えました。ならば、働いていることに誇りが持てる哲学を自分で作らなくてはならないと思ったのです。生きている意味、働いている意味を見出せる哲学を手に入れたい。チェーホフを勉強しながら、そんなことを考えていましたね。チェーホフの作品には、生きている意味が実感できないという人物が多く登場します。そういう人物に僕は非常に近しいものを感じます。チェーホフは現代を生きる我々が悩んでいるものと同じような問題を描いているのです。もちろん、僕はまだ先に言った哲学を手に入れてはいません。しかし、働くことに誇りが持てるような思想を作りたいという思いに変わりはありません。

もちろんロシア文学一般の勉強もしましたが、僕は研究のベースにあるのは一貫してチェーホフです。没後100年ということで、2004年には自分の研究の落とし前をつけるという意味で、岩波新書で『チェーホフ』というささやかな本を書きました。人間というのは生きていくに当たって、どうしても意味を求めてしまうものですが、そういう意味に振り回される人間のおかしさ、その悩みや苦しみなどの一端にふれることができたのではないかと思っています。

日本人としてロシアを考える

浦雅春教授

ロシア語を公用語としている国へは、あまりたくさん行っているわけではありませんが、もちろん行ったことはあります。

最初に行ったのは大学院の二年生の頃で、通訳としてソ連に行きました。でも、通訳なんてまだ出来もしないのに行ったものだから、さんざんな思いをしました。旅行の添乗員もかねていたので、向こうのホテルのフロントで旅行者の部屋を調べようとしたら、「通訳を連れて来い」と言うんですよ。「僕が通訳だ」と言ったって、相手は信用してくれない。大恥をかいて、手ひどい挫折感を味わいましたね。

向こうで感じたことは、とにかくロシア人は温かいってことですね。田舎に行けば特にそうでした。道でうろうろしてようものなら、すぐ寄ってきて疎ましいくらいに色々と説明してくれるんです。これはどこの国でも田舎はそうなのかもしれません。もうひとつ心に深く刻まれたのは、歴史の重みというものでしょう。ロシアという国は、日本に比べても歴史が物凄く浅いんです。世界史に登場するのは10世紀になってからです。ペテルブルグなんて「古都」と呼ばれていますが、町が出来たのは新しく、1703年に作られました。本来都市というのは自然発生的に、人の行き交い、交易の中で生まれるものですが、ペテルブルグというのはロシアがヨーロッパへの道を開くために、人工的に作った都市なんです。その街を歩いていると、街や風景が人間を教育するっていう感じがひしひしと伝わってくるんです。石造りの建物があって、柱が人間の形をしていて、屋根を支えている。それを見ていると、立像が歴史の重みに耐えているという感じが伝わってくるんです。たった300年の歴史しかないけど、この街には歴史が層をなして堆積しているってことが感じられる。ところが、日本に戻ってみると、日本のほうがよっぽど近代的でモダンです。でも、日本は確かに長い歴史があるけれど、それが堆積していない、しょっちゅう一から出直しという印象を受けますね。日本の街並みなんてどんどん変わっているでしょう。日本はモダンで美しいけど、薄っぺらなんですね。その点、ロシアには歴史の重みがありありと感じられるのです。これはロシア人の歴史に対する態度が日本人とは違うためでしょう。例えば、日本では東南アジアへの進出や中国への侵攻、南京大虐殺や石井細菌部隊など、そこから撤収するときには、残したくない資料や証拠となるような文書はすべて処分してしまいます。でもどうやらロシア人は、もしかしたらヨーロッパもそうかもしれませんが、自分がしでかしたこと、自分の事跡はけっして消すことができないと思っているのです。悪事を働いていても、ロシア人は克明にその記録を残しています。1930年代にスターリンは罪なき人々をシベリアに送り、多くの人命を奪うという陰惨な粛清を行いました。ところが、そうした歴史の暗部に関する文書は全部残っています。人間が行った事実は消したり改ざんすることはできない、人間が左右できることではないと考えられているからでしょう。そういった歴史観がロシアの街並みから見て取れますね。

ロシアで自分が日本人であると言うと、みんなとても好意的に接してくれます。日本の若者文化、つまりアニメや漫画などに非常に強い関心を抱いているようですね。アニメや漫画などでは、日本語をそのままロシア語にしたものが、たくさん出回っています。「カワイイ」とかね、そういった言葉がそのままロシア語でつづられて、向こうで通用しているんです。日本はロシアにあまり関心を持っていないようですね。ほとんど関心がないと言ってもいいかもしれない。新聞なんかを見ていても、ほとんど話題にされることがない。ところが、ロシア人の日本に対する関心は非常に高いのです。日本とロシアの関係はきわめて非対称的で、これは不幸なことだと言えるでしょう。

言語学的な観点から

では、語学的なお話をしましょう。今でいうブルガリアあたりから発祥したスラブ語というまとまりがあって、ロシア語はその中に属します。スラブ語の中で一番有名なのはロシア語ですが、時間軸に沿って言うとブルガリア語・ウクライナ語・ロシア語となります。大きなところではポーランド語やチェコ語などもスラブ語ですね。他にもクロアチア語やマケドニア語もスラブ語に属します。しかしながらスラブ語は、日本人や西ヨーロッパ人から見ると、ロシア語を除けば割とマイナーな言語が多いですね。スラブ語内での言語の差は、あまりないと言っていいでしょう。方言程度の差といったらいいのでしょうか。使っている文字はキリル文字、ラテン文字つまりローマ字といった違いはありますが、話していると八割方お互いの話を理解できるものです。もちろんロシア領土内でも方言はあります。ペテルブルグとモスクワでは発音が少し違います。でも、領土が広いからといって通じないレベルの方言ではありません。ロシアの近隣諸国の話をすると、モンゴル語はロシア語と同じキリル文字を使いますし、外モンゴルではロシア語も通じます。モンゴルでは1990年代の民主化が始まる前までは中央の言葉がロシア語だったから、官僚としてのし上がっていこうとすると、ロシア語を勉強していたほうがよいという風潮があったようです。ロシア語が個人のキャリアを上げる上での手段だったのです。アフリカでフランス語が広く普及しているように、支配言語としてロシア語が成立していたわけです。だからモンゴルでは上の世代の知識人が割とロシア語を喋るんです。

グローバリゼーションで英語の支配が強くなっていることは事実です。ロシアでも英語を喋る人はとても多いですね。ロシアの中にも英語がかなり浸透しています。かたくなにフランス語を守ってきたフランスでさえ、最近では英語の力が増してきていると言われます。それほど、英語一元化の波は強いようです。だけど一方で、ロシアが経済的に激変して、ロシア語の影響力が徐々に増しているようです。ベルリンの壁が崩壊して東西の冷戦構造が壊れた後で、ロシアは経済的に疲弊している時期がありました。僕が1997年にペテルブルグに行ったときは、今と違って寂れた感じを受けました。しかし、今のロシアはどんどん盛り返してきていますよね。エネルギー産業の好況を受けて、ロシア経済は右肩上がりにぐんぐん伸びている。そういう風に経済力が回復してくるにつれて、ロシア語の浸透力や存在感は大きくなっているのが事実です。日本ではあまりこの動きが取り上げられないせいで、学生はあまり関心を持っていないようですけれどね。おそらく今後、経済力の回復とともにロシア語の存在感が高まってくるのではないでしょうか。


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